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夏徳庸 : ミニ英和和英辞書
夏徳庸[なつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なつ]
  1. (n-adv,n-t) summer 

夏徳庸 ( リダイレクト:幸地賢忠 ) : ウィキペディア日本語版
幸地賢忠[こうち けんちゅう]
幸地 賢忠(こうち けんちゅう、天啓3年<尚豊王3年>6月15日1623年7月2日) - 康熙22年<尚貞王15年>12月10日1684年1月26日))は、琉球国第二尚氏王統)の音楽家琉球古典音楽の祖と評される。
唐名は夏徳庸(か とくよう)、は顧行、童名は思次郎、号は愽菴・湛水。称号は親方で、湛水親方(たんすいうぇーかた)の名で知られる。
== 生涯 ==
1623年、上級士族である幸地親方賢盈の次男として生まれ、13歳で小赤頭(こあくがみ)として王府に出仕、17歳で欹髻を結った(元服)。摂政を務めた羽地朝秀の従弟にあたるため重用され、4度にわたって薩摩を訪れた。大和の音楽や芸能にも通じていたが、三線や歌をはじめとする琉球音楽を大成させた。これは、日琉同祖論をとり琉球固有の文化に否定的であった羽地朝秀と相容れず、1673年に禁を犯して妓女を側室にしたことを契機に官を罷免されて具志川間切に蟄居させられた。1675年に羽地朝秀が没したのち、恩赦を受けて首里に戻った。1683年に61歳で没した。
幸地賢忠は、首里節・諸鈍節・作田節・早作田節・揚作田節・ぢゃんな節・暁節などを作曲したといわれている。その一門は湛水流と呼ばれて古典音楽の担い手が輩出し、後年その門流からは野村流安冨祖流が分かれた。こうしたことから幸地賢忠は琉球古典音楽の祖とみなされており、沖縄市沖縄市立図書館には「湛水親方顕彰碑」が建てられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「幸地賢忠」の詳細全文を読む




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