翻訳と辞書
Words near each other
・ 古本市場
・ 古本店
・ 古本新乃輔
・ 古本新之輔
・ 古本新之輔 ちゃぱらすかWOO!
・ 古本新之輔のパラシュート遊激隊
・ 古本武尊
・ 古本説話集
・ 古杉天神流
・ 古村勇人
古村啓蔵
・ 古村大介
・ 古村徹
・ 古村敏比古
・ 古村比呂
・ 古村理
・ 古村隼人
・ 古村駅
・ 古条彩華
・ 古杣


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

古村啓蔵 : ミニ英和和英辞書
古村啓蔵[こむら けいぞう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

古村啓蔵 : ウィキペディア日本語版
古村啓蔵[こむら けいぞう]

古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本海軍軍人。最終階級は海軍少将戦艦武蔵」の第2代艦長であり、坊の岬沖海戦では軽巡洋艦矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」〔『太平洋戦争勇将名将総覧』P312〕。
== 経歴 ==
長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒後、海軍兵学校卒(45期)。病のため1年留年している。海軍兵学校の同期生では、坊の岬沖海戦時に共に戦った第二艦隊参謀長森下信衛少将、同郷同窓の戦艦「大和」艦長有賀幸作大佐(戦死後中将)が有名である。海軍大学校甲種学生(27期)、英国駐在、教育局第二課長等を経て太平洋戦争開戦を迎えた。ちなみに有賀幸作の父作太郎は古村の兵学校入学時の保証人でもある。
重巡洋艦筑摩」艦長として真珠湾攻撃ミッドウェイ海戦に参加。南太平洋海戦では被弾により負傷しながら指揮をとった。その後戦艦「扶桑」艦長となるも1943(昭和18)年6月8日柱島泊地の「扶桑」を離れ、翌日「武蔵」第2代艦長に就任。6月24日昭和天皇の「武蔵」行幸を迎えたのち連合艦隊司令長官古賀峯一大将と共にトラック諸島に赴く。11月1日少将に進級。12月6日第三艦隊参謀長となり、1944年(昭和19年)3月1日からは第一機動艦隊参謀長を兼ねた。マリアナ沖海戦を戦い、第一航空戦隊司令官を経て、1945年(昭和20年)1月3日、第二水雷戦隊司令官となる。4月6日天一号作戦が発動され旗艦である「矢矧」に乗艦し出撃するも、4月7日坊の岬沖海戦でアメリカ航空艦隊の艦載機による攻撃を受け、奮戦及ばず「矢矧」は沈没する。古村は部下に退艦を促し、艦長の原為一大佐と共に艦にとどまったが、海に投げ出され漂流しながら戦艦「大和」が沈没する姿を目撃する事となる。その後駆逐艦「初霜」に救助され生還する。その後横須賀鎮守府参謀長就任兼副司令兼食料担当司令として終戦を迎えた。開戦から終戦近くまで一貫して艦隊勤務であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古村啓蔵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.