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森下信衛 : ミニ英和和英辞書
森下信衛[もりした のぶえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

森下信衛 : ウィキペディア日本語版
森下信衛[もりした のぶえ]

森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。〔『後昆に伝えん -戦艦大艦長森下信衞少将の生涯―』1頁〕。
旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、海軍兵学校45期卒業。戦艦榛名大和などの艦長を務め、天一号作戦(坊の岬沖海戦)では第2艦隊参謀長を務めた。この坊の岬沖海戦時の大和艦長有賀幸作大佐、第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将(軽巡矢矧乗組)とは海兵同期である。数少ない戦艦大和沈没時の生存者であった。
== 人物 ==
日本海軍屈指の操艦の名手だった。大和艦長であった1944年6月、米潜水艦を発見して艦隊各艦が一斉回頭した際、回頭が遅れた姉妹艦「武蔵」と大和が衝突しかけた。森下は慌てた様子もなく「俺がもらおう」と自ら操舵輪をとって回避した〔岩佐二郎『戦艦「大和」レイテ沖の七日間「大和」艦載機偵察員の戦場報告』(光人社、2004)184-185頁〕。レイテ沖海戦では、僚艦の武蔵が満身創痍の被害を受けて沈没したにもかかわらず、巧みな回避運動で爆弾3発の命中にとどめた。その際、防空指揮所において防弾チョッキも着用せず、くわえタバコのまま指揮を執ったという伝説が残されている。このとき、大和の進路や速力を記録する信号員は、あまりに頻繁な転蛇をフォローしきれず、「回避運動適宜」とのみ記したという。
たびたび艦橋外郭に出て眼下の将兵に大声で冗談や駄洒落を飛ばし、軍人らしさを感じさせなかった〔鬼内仙次『島の墓標 私の戦艦「大和」』(創元社、1997)63頁〕。
坊の岬沖海戦時に副砲長だった清水芳人は「森下艦長は、ふんどし姿で我々と酒を飲みかわしたりして、まるで親父のような人だった」と回想している〔『後昆に伝えん -戦艦大艦長森下信衞少将の生涯―』70頁〕。
10月25日のサマール島沖海戦で、大和右舷機銃が漂流中の米沈没艦乗組員に対し銃撃を加えた為、艦内放送で叱咤し、やめさせた〔岩佐二郎『戦艦「大和」レイテ沖の七日間』136-137頁、『別冊宝島1239 僕たちの好きな戦艦大和』(宝島社、2006年)第二章 「大和」と生きた男たち 森下信衛 p80~p81〕。
参謀長時の従兵である小宮山善一郎は、森下の大切にしていた魔法瓶をうっかり落として割ってしまった。恐る恐る謝りに行くと、森下は「けがはなかったか。」と優しく気遣ってくれ、ますます森下に心酔したと述懐している〔『後昆に伝えん -戦艦大艦長森下信衞少将の生涯―』60頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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