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マリアナ沖海戦 : ミニ英和和英辞書
マリアナ沖海戦[まりあなおきかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おき]
 【名詞】 1. open sea 
海戦 : [かいせん]
 【名詞】 1. naval battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

マリアナ沖海戦 : ウィキペディア日本語版
マリアナ沖海戦[まりあなおきかいせん]

マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん)は、太平洋戦争においてあ号作戦として1944年6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日本海軍アメリカ海軍空母機動部隊の海戦。アメリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)である。アメリカ側の作戦名は、海上作戦を含むサイパン島攻略作戦全体についてフォレージャー作戦(「掠奪者作戦」の意味)と命名されていた。
マリアナ諸島に侵攻するアメリカ軍を日本軍が迎撃した本作戦では、日本はアウトレンジ戦法による航空作戦を行うが、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄されるほどの一方的な敗北となり、日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に陥ちた。
== あ号作戦 ==

=== 立案 ===
日本軍は太平洋戦争の短期決着に失敗し、戦力の多くを失った。そのため、1943年中期から日本海軍は戦力を極力温存して、基地航空部隊、空母航空部隊の充実を図り、アメリカ軍侵攻正面をマーシャル方面に想定し、総力をもってアメリカ空母機動部隊を迎撃、撃滅を目的とした「Z号作戦」を計画する。しかし、「ろ号作戦」で予定の戦力が投入され、計画を変更せざるを得なくなり、決戦想定正面をマリアナ諸島もしくはカロリン諸島に変更して「新Z号作戦」となった。
1943年9月30日、絶対国防圏の設定を発令〔戦史叢書12マリアナ沖海戦付録〕。アメリカ軍は中部太平洋での攻勢を本格化させ、11月にはギルバート諸島タラワ環礁マキン環礁を占領、1944年2月にはトラックを空襲すると共にマーシャル諸島へ侵攻し占領した。さらに3月にはパラオ大空襲で日本の在泊艦艇および基地施設に多大な損害を与え、4月にはニューギニア島ホーランジア、アイタペに上陸した。この状況を受けて、アメリカ軍による決戦想定方面への侵攻は5月から6月にを行うものと判断した。
1944年3月31日パラオ大空襲の際、海軍乙事件で「あ号作戦」の元になる「新Z号作戦」計画書など最重要軍事機密がアメリカ軍の手に渡った。アメリカ軍は把握した日本海軍の兵力、航空機や艦船の数、補給能力等の重要情報をもとに約1ヶ月をかけて用意周到な作戦を練り上げた。日本海軍は「新Z号作戦」計画書がアメリカ軍に渡った事を知らなかったため、作戦名を「あ号作戦」と改めるなど多少の作戦変更しか行っていない。あ号作戦の「あ」はアメリカの頭文字に由来する。作戦は第一想定正面であるパラオ近海において防衛を行うこととした。そのためにグアムサイパンテニアンの兵力を強化して敵をパラオ方面へ誘い込み、空母機動部隊である第一機動艦隊第一航空艦隊を主力とする基地航空隊によって撃破するという作戦を立てた。
あ号作戦の立案は、連合艦隊司令部、作戦参謀長井純隆、航空参謀淵田美津雄、潜水艦参謀渋谷龍穉、情報参謀中島親孝が中心となって軍令部と連絡を取って行った。4月14日、15日、21日、22日に軍令部との打ち合わせがあった。4月24日、連合艦隊で参謀長以下で連合艦隊作戦計画を作成した〔戦史叢書12マリアナ沖海戦331頁〕。1944年5月3日、大本営は「あ」号作戦に関する総長指示を発令。同日連合艦隊司令長官に豊田副武大将が親補され、連合艦隊は「あ」号作戦命令を発令した〔戦史叢書12マリアナ沖海戦304-305頁〕。
問題は、アメリカの侵攻正面であり決戦海面としては小笠原諸島、マリアナ諸島、西カロリンを考えていたが、敵情判断、また現状のタンカー保有量不足から近場が望ましく「西カロリン」を選定した〔戦史叢書12マリアナ沖海戦336頁〕。あ号作戦の計画方針では決戦方面にマリアナも含まれていたが、ほぼ考慮はされていなかった。軍令部第一部長中澤佑によれば「マリアナにいずれは来るであろうが、六月に来るとは思っていなかった。これに対し西カロリン、ニューギニアには逐次連携しながら来攻する、マリアナは比島作戦が大体目鼻がついてからと考えていた。六艦隊司令部も敵がマリアナに来ると判断しておれば、サイパンに進出しなかったと思う」という。軍令部作戦課長山本親雄によれば「マリアナには全然来ないとは思わなかったが、あれほど早く来るとは考えていなかった。マリアナには陸軍兵力が入り、相当自信があるのでまず大丈夫と考えていた」という。軍令部航空部員源田実によれば「あ号作戦計画においては、敵のマリアナ攻略はほとんど考えていない。敵の来攻方向は比島を目標とする西部ニューギニアと西カロリンであり、マッカーサーとニミッツの兵力が同時に別の方向に来攻するとは考えず、ニミッツの艦隊はマッカーサーの攻略部隊に応じるであろうと判断していた」という〔戦史叢書12マリアナ沖海戦323-325頁〕。陸軍はマリアナにおける防衛に強い自信をもって回答しており、この方面の作戦計画をした主務参謀晴気誠は海軍に対して、たとえ海軍航空が無くなっても第四十三師団が到着するから敵を絶対に叩き出せるという説明を行った〔堀栄三『大本営参謀の情報戦記』文春文庫128頁、戦史叢書12マリアナ沖海戦326-327頁〕。
また、連合艦隊はマリアナに来攻した場合の処置に関して、基地航空部隊は「第三集中配備」としてこの処置を定めているが、その他では作戦方針に示しているだけで、水上部隊の作戦では全然触れられていない〔戦史叢書12マリアナ沖海戦353頁〕。連合艦隊作戦長井純隆参謀は「あ号作戦計画を作成した当時タンカー問題は未解決で、敵マリアナ来攻の場合わが機動部隊は同方面に進出不可能であった。その後発令直前にタンカー問題が解決し作戦命令を訂正すべきであった。基地航空部隊作戦担当参謀は訂正したが他は訂正することなくして終わった」という。連合艦隊参謀長草鹿龍之介は「敵がサイパンに来攻した場合は、同地をしっかり確保している間にゆっくり準備を整え作戦できるように考えていた」という。連合艦隊先任参謀高田利種は「命令の変更を出したかどうか記憶していないが訂正を必要としなかったのではないか。実際の場合は、タンカーの解決で機動部隊の作戦限度線(マリアナ列島付近)を定めてあり、これで機動部隊の作戦を適宜指導するつもりであった」という〔戦史叢書12マリアナ沖海戦354頁〕。
一方、軍令部五課(米大陸情報課)部員実松譲によれば「当時五課の判断は通信情報だけでなく諸種の状況から判断しており、特に参考になったのは捕虜訊問で、それによって敵の作戦の習性を調べていた。敵機の来襲状況と月日の関係を図表にしてみると、おおむねその準備状況が判明した。またアメリカ軍のやり方と記念日との関速、主将の性格特にその発表のやり方(マッカーサーは政治的、ニミッツは正直)等を参考としている。昭和19年2月23日のマリアナ空襲時にアメリカはリンカーンデーのプレゼントと発表した、これを聞き、直感的に次はマリアナではないかと考えた。四月に入り高高度偵察に来たのでこの考え方は強くなった。更に五月に入ると来襲回数も増し、低高度の偵察があり(アメリカ軍はこの後潜水艦によって日本軍の陣地を調べ、最後に潜水艦で海上偵察を使うのが常である)その後通商破壊に関係のない潜水艦の出現によりマリアナ来攻を確信するに至った。当時軍令部の作戦課は通信情報を重視して五課の判断をほとんど聞き入れなかった」という。連合艦隊の中島親孝情報参謀によれば「マーシャル来攻時の通信状況によってニミッツの攻略に対する実力を知り、古賀長官時代の連合艦隊司令部はアメリカ軍が二本槍で侵攻して来ると考えていた。しかし、四月以後の新連合艦隊司令部は中央の判断に基づいており、自分とは状況判断が異なっていた。通信上はニミッツの線が非常に高まり、北方に偽電があるころビアクに来攻、通信上はニミッツと全然関連がないので、攻勢はパラオではなくカロリンの線より北側との判断がはっきりした」という。しかし、大本営では五月下旬の五課の判断以外はマリアナを考えておらず、連合艦隊司令部でも中島が五月末のビアク来攻でマリアナと判断した以外は決戦方面は南寄りと判断していた〔戦史叢書12マリアナ沖海戦324-325頁〕。
敵艦隊導入方策は、基地航空部隊を秘匿・集中して敵に戦力を下算させること、特令で一部兵力をウルシー・パラオに進出待機させ誘出すること、機動部隊主力のフィリピン南からの進出を秘匿すること、以上を計画していた〔戦史叢書12マリアナ沖海戦353頁〕。
攻撃計画は、機動部隊は敵機動部隊へ先制攻撃のちアウトレンジ戦法で反復攻撃、戦闘爆撃機で空母を封殺し、次に本攻撃に移る。黎明を狙ったのち、昼間にアウトレンジ戦法だけで攻撃を行う。基地航空部隊には索敵に期待しており、哨戒圏を利用して接敵し、翼側から攻撃、協力困難なら縦深配備とする〔戦史叢書12マリアナ沖海戦388-389頁〕。航空参謀田中正臣は「小澤長官が強調された戦法で400浬~450浬から発艦し、全速力で敵方に突き込み飛行機隊を収容して反復攻撃を行う方法である。この遠距離からの攻撃が可能であるかどうか検討され、新機種(彗星、天山)ならば可能であるとの結論になった。この戦法は当然の策であり、この戦法でなければ勝算はないものと考えていた」という〔戦史叢書12マリアナ沖海戦390頁〕。
また、停泊した米機動部隊に特四式内火艇で奇襲する竜巻作戦をあ号作戦で実行する案もあり、4月26日本作戦について中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将は情勢に適応しないとの理由で反対を表明しているが、連合艦隊司令部は既定の計画に従って5月3日「あ」号作戦命令の一部として発令した。しかし、特四式内火艇にエンジンの轟音、低速、キャタピラが小石で破損するなど性能上の欠陥があることが分かり、5月12日本作戦の実施は不可能と判断し、中止された〔戦史叢書12マリアナ沖海戦432-433頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリアナ沖海戦」の詳細全文を読む




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