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出口裕弘 : ミニ英和和英辞書
出口裕弘[でぐち ゆうこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [で]
  1. (n,n-suf) outflow 2. coming (going) out 3. graduate (of) 4. rising (of the sun or moon) 5. one's turn to appear on stage 
出口 : [でぐち]
 【名詞】 1. exit 2. gateway 3. way out 4. outlet 5. leak 6. vent 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

出口裕弘 : ウィキペディア日本語版
出口裕弘[でぐち ゆうこう]

出口 裕弘(でぐち ゆうこう、1928年8月15日 - 2015年8月2日)は、昭和平成期の日本作家フランス文学者
== 来歴・人物 ==
東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区東日暮里)の生まれ。本名の訓みはヤスヒロといい、葛飾区立堀切小学校から東京府立第十一中学校(東京都立江北高等学校)を経て1945年4月、旧制浦和高等学校理科1組入学、1945年7月1日、武原寮(ぶげんりょう)に入寮しここで敗戦を迎えた。寮で1級下の野沢協と相識る。
1945年10月、文科甲類に転科する。在学中は文芸部に所属し、短歌俳句小説などの創作活動に熱中した。童話戯曲にも手を染め、もともとはドストエフスキーなどのロシア文学に傾倒していたが、文芸部長井上芳夫(のち映画監督となる)から第一書房刊のフランス現代小説シリーズを借りて読み、フランス文学に目覚める。当時から一貫して作家志望だった。1946年4月、理科から文科甲類に転科した同学年の澁澤龍雄(後の龍彦)と相識る。その後40年間以上にわたる澁澤龍彦との交遊の始まりとなった。
1948年、旧制浦和高等学校卒業、東京大学文学部フランス文学科入学。1952年、東京大学文学部フランス文学科を卒業、ジャーナリズム関係の就職試験に全敗したため、複数の大学でフランス語の臨時講師となった。
1954年6月、北海道大学文学部専任講師となり札幌市に赴任した。1955年、澁澤や小笠原豊樹(岩田宏)たちと共に同人誌「ジャンル」を創刊、尊敬する太宰治の本名にあやかって津島裕名義で短篇小説「白日」を発表する。
1956年3月に結婚、1958年、澁澤に誘われて同人誌「未定」に長篇小説「重い鞄」を発表するも第1回のみで中絶。1959年、北海道大学の学内綜合誌「北大季刊」に長篇小説「八月始末記」を発表するも第1回のみで中絶した。1959年8月、長男が誕生した。
1960年、澁澤の世話により、モーリス・ブランショ『文学空間』を粟津則雄と共訳した。1962年9月、東京経由でパリ大学文学部に私費留学した(当時の月給は3万円、ヨーロッパへの往復航空券は45万円ほど)。
1963年3月、パリ留学を切り上げてローマ経由で帰国、1963年4月、フランス語専任講師として一橋大学に赴任した。
1965年調布市若葉町に平屋建て四間の新居を落成。1966年10月、北鎌倉の澁澤邸にて、尊敬する三島由紀夫と初対面を果たし、ユイスマンス『大伽藍』(1966年3月)の訳業を褒められる。1967年11月、ジョルジュ・バタイユ『有罪者』を翻訳出版し三島に献呈したところ、1967年12月21日、三島から「すばらしい本をお出しになりました。そして現下最も緊要なる本を」という返礼の葉書を受け取った。
1970年一橋大学経済学部の教授に就任した。1971年秋、「」に長篇小説「京子変幻」を発表、小説家として商業誌に初登場。1972年、「海」に「天使扼殺者」を発表する。1972年7月、『京子変幻』単行本刊行。1973年秋、「海」に連作小説第1回「カンブリアの影」を発表するも、2回で中絶した。
1977年から1978年まで、ソルボンヌ大学に国費留学、パリ第6区オデオン通りのシオラン宅をたびたび訪問する。1977年6月、澁澤夫妻の訪問を受け、堀内誠一夫妻と共に1ヶ月間、澁澤夫妻を観光案内した。
1978年1月、澁澤に刺激されてイタリアを旅行、アルベロベッロからシチリアまでを巡った。
1983年3月、長篇エッセイ「ロートレアモンのパリ」を発表する。
1992年、一橋大学を定年退官。1995年12月から1996年1月までイタリアへ旅行、トリノからシチリアまでを巡った。
2007年、『坂口安吾 百歳の異端児』で伊藤整文学賞蓮如賞を受賞した。
2015年8月2日、心不全のため86歳で死去した〔訃報:出口裕弘さん86歳=作家、元一橋大教授 毎日新聞 2015年8月3日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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