翻訳と辞書
Words near each other
・ 凡慮
・ 凡戦
・ 凡手
・ 凡才
・ 凡打
・ 凡書
・ 凡河内国
・ 凡河内国造
・ 凡河内氏
・ 凡河内躬恆
凡河内躬恒
・ 凡流
・ 凡海麁鎌
・ 凡百
・ 凡眼
・ 凡策
・ 凡試合
・ 凡退
・ 凡骨
・ 凢


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

凡河内躬恒 : ミニ英和和英辞書
凡河内躬恒[おおしこうち の みつね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぼん]
  1. (adj-na,n) mediocrity 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
河内 : [はのい, かわち]
 【名詞】 1. Hanoi 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

凡河内躬恒 : ウィキペディア日本語版
凡河内躬恒[おおしこうち の みつね]

凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね、貞観元年(859年)? - 延長3年(925年)?)は、平安時代前期の歌人官人宿禰〔『三十六人歌仙伝』〕。一説では淡路権掾・凡河内諶利の子。官位は六位〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年〕〔『勅撰作者部類』では五位とする。〕・和泉大掾三十六歌仙の一人。
== 経歴 ==
寛平6年(894年甲斐権少目延喜7年(907年丹波権大目、延喜11年(911年和泉権掾、延喜21年(921年淡路権掾に任ぜられるなど、宇多朝から醍醐朝にかけて地方官を歴任。延長3年(925年和泉国から帰京してまもなく没したという。
歌人として、歌合賀歌屏風歌において活躍し、昌泰元年(898年)の「朱雀院女郎花合」に出詠して以降、延喜7年(907年)宇多法皇大堰川行幸、延喜16年(916年石山寺御幸、延喜21年(921年)春日社参詣などに供奉して和歌を詠進した。またこの間の延喜5年(905年)には、紀貫之紀友則壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者に任じられている。
三十六歌仙の一人に数えられ、『古今和歌集』(58首)以下の勅撰和歌集に194首入集するなど〔、宮廷歌人としての名声は高い。家集に『躬恒集』がある。
なお、広峯神社祠官家である広峯氏は躬恒の末裔を称した〔「広峯氏系図」(『続群書類従』巻第183所収)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「凡河内躬恒」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.