翻訳と辞書
Words near each other
・ 入生田駅
・ 入用
・ 入田の瓦窯跡
・ 入田地区
・ 入田小学校
・ 入田幼稚園
・ 入田村
・ 入田村 (徳島県)
・ 入田瓦窯跡
・ 入田町
入田義実
・ 入田親実
・ 入田親真
・ 入田親誠
・ 入皮
・ 入監
・ 入目
・ 入相
・ 入相の鐘
・ 入相応


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

入田義実 : ミニ英和和英辞書
入田義実[にゅうた よしざね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にゅう]
 【名詞】 1. go in 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 

入田義実 : ウィキペディア日本語版
入田義実[にゅうた よしざね]

入田 義実(にゅうた よしざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大友氏島津氏の家臣。入田氏11代当主。直入郡入田荘領主。
== 生涯 ==
天文2年(1533年)、大友氏の重臣・入田親誠(親実)の子として、豊後国入田神原城で生まれる。
天文19年(1550年)、大友氏の内紛である二階崩れの変において父・親誠が殺害され没落。一時は流浪の身となるが、天正8年(1580年)頃に変の際は若年だったことが考慮され、大友宗麟から帰参を許される。筑前国鞍手郡若宮荘350町など一部の所領を回復したが、その後は冷遇されたため、耳川の戦いにおける大敗で大友氏が衰退して島津義久の侵攻を受けるようになると、天正13年(1585年志賀親度(道易)と連携して新納忠元を介して島津氏と内通した(ただし、大友義統と対立して戸次統貞に攻められたため、やむなく内通したという説もある)。
天正14年(1586年)から島津義弘による豊後侵攻(豊薩合戦)が始まると、義実は島津軍の案内役を務めた。翌15年(1587年)に宗麟の援軍要請に応じた豊臣秀吉による九州平定が開始されると、島津軍は豊後を放棄して薩摩国に撤退し、義実もこれに従った。以後は島津氏の家臣として仕え、義久から日向国に30町の所領を与えられている。
慶長6年(1601年)に死去。享年69。
子の氏虎(氏隆)は島津義弘に従い関ヶ原の戦いに参戦し、以後は高岡(現・宮崎県宮崎市高岡町)衆中となる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「入田義実」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.