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任昉 : ミニ英和和英辞書
任昉[にん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にん]
 【名詞】 1. obligation 2. duty 3. charge 4. responsibility 

任昉 ( リダイレクト:任ボウ ) : ウィキペディア日本語版
任ボウ[じん ぼう]

任 昉(じん ぼう、460年 - 508年)は、中国南北朝時代の文学者。は彦昇。小字は阿堆。楽安博昌(現山東省寿光市)の人。南斉の竟陵王蕭子良のもとに集まった文人竟陵八友」の1人。散文の分野で高く評価され、南斉・の時代に多くの表奏を手がけた。同じ八友の1人で、詩にすぐれた沈約に対し、「任筆沈詩」と称される。著作に『述異記』『文章縁起』(偽作説もあり)。
== 生涯 ==
幼少の頃から学問を好み、早くから名を知られていた。16歳での宗室の1人である丹陽尹劉秉の主簿に招かれる。しばらくして奉朝請となり、秀才に挙げられ、太常博士・征北行参軍を務めた。
南斉永明の初め、衛将軍王倹が丹陽尹を領すると、その主簿となり、彼に非常に尊重された。竟陵王蕭子良の記室参軍に転じ、彼のサロンで文人として活躍したが、間もなく父の死により職を辞した。父の死に続いて母の死に遭うが、いずれも礼を尽くして喪に服し続けた。494年蕭鸞(後の明帝)が皇帝の蕭昭業を廃し、蕭昭文を新たな皇帝に擁立した際、蕭鸞は任昉に上奏文を代筆させたが、任昉はその中で蕭鸞が蕭昭業を殺したことを暗に批判し、蕭鸞の不興を買った。このため明帝在位の間、官位は太子歩兵校尉・東宮書記にとどまり続けた。明帝が死去すると、中書侍郎に転任し、さらに司徒右長史となった。
501年蕭衍(後の梁の武帝)が和帝を擁立し実権を握ると、任昉は驃騎記室参軍となり、禅譲の詔勅などは、すべて彼の手によって書かれた。翌502年天監元年)、梁が建てられると、黄門侍郎に転じ、さらに吏部郎中となった。503年、地方に出て義興郡(現江蘇省)の太守となり、友人の到漑らと親しく山水を遊覧して交際した。都に戻ると再び吏部郎中となる。御史中丞・秘書監に転じ、前軍将軍を兼任した。さらに宮中の書物を自ら整理し、その篇目を定めている。
507年、寧朔将軍・新安太守に転出した。在任中、政務は清廉でその地の民心を大いに得た。翌508年、在職中に死去した。享年49。太常卿を追贈され、敬子とされた。
任昉は交際を好み、多くの友人を引き立てた。財産に関心が無く、借金をしては困窮している親類友人に与えていた。貧しいにもかかわらず、1万巻あまりの書物を集め、古典で読まないものはなかった。任昉が死去すると、武帝は沈約らに命じてその蔵書を整理させ、宮中にない書は借り上げたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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