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丹下キヨ子 : ミニ英和和英辞書
丹下キヨ子[たんげ きよこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たん, に]
 【名詞】 1. red 2. red earth 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

丹下キヨ子 : ウィキペディア日本語版
丹下キヨ子[たんげ きよこ]

丹下 キヨ子(たんげ きよこ、1920年(大正9年)1月2日 - 1998年(平成10年)5月4日)は昭和に活躍した歌手女優。本名:小山キヨ
== 経歴 ==
1920年(大正9年)1月2日東京市浅草区生まれ。日劇ダンシングチーム(NDT)出身。三木鶏郎のグループにも参加。「僕は特急の機関士で」、「ブギウギ列車」等のヒット曲がある。
1952年(昭和27年)、第2回NHK紅白歌合戦の紅組司会者にもなる。 1950年代から70年代にかけて、東宝新東宝日活東映などの映画に数多く出演。 テレビでも活躍し、『日曜娯楽版』、『渥美清の泣いてたまるか』、『23時ショー』、『だから大好き!』(ジロウの母)、『独占!女の60分』 等に出演、同年代の大物女性タレントである清川虹子水の江瀧子らと同様、歯に衣着せぬ毒舌を展開しコメンテーターとしても活躍、長らく芸能界の一線で活躍を続けた。また一時期はブラジル実業家としても活躍していた。
しかし、1970年代後半以降は、長年の持病である糖尿病が悪化、失明の危機に悩まされ(そのため、この頃から眼球を保護するためにサングラスを着用してテレビ番組に出演することが多くなった)、その治療のために入退院を繰り返すようになり、1983年(昭和58年)にはレギュラー出演していた『独占!女の60分』も降板。同時に事実上芸能活動からも引退し、表舞台から姿を消した。
1998年(平成10年)5月4日、千葉県浦安市の自宅で心不全のため死去。。
長女は1960年代からブラジルで俳優、和太鼓奏者として活動している丹下セツ子、三女は1970年代~80年代に歌手、女優として活躍した小山セリノ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丹下キヨ子」の詳細全文を読む




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