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新東宝 : ミニ英和和英辞書
新東宝[しんとうほう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東宝 : [とうほう]
 【名詞】 1. Toho (Japanese film studio) 
: [たから]
 【名詞】 1. treasure 

新東宝 : ウィキペディア日本語版
新東宝[しんとうほう]

新東宝株式会社(しんとうほう)は、かつて東京に存在した日本映画会社である。1947年(昭和22年)3月に株式会社新東宝映画製作所(-しんとうほうえいがせいさくしょ)として創業、1948年(昭和23年)4月に株式会社新東宝として設立され、1958年(昭和33年)2月に同商号に変更している〔国際放映株式会社 会社沿革 国際放映(新東宝の継承会社)公式サイト、2009年9月10日閲覧。〕。1961年(昭和36年)に倒産し、1964年(昭和39年)に国際放映株式会社に商号変更した〔。
同社が存続した1947年 - 1961年の14年間に800本以上の映画を製作。初期は文芸色が強く、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞した『西鶴一代女』のように高く評価される作品もあった。後期は作品カラーを大きく変え、「エログロ」に代表される徹底した娯楽、大衆路線となる。
同社の倒産以降に「新東宝」を名乗る「新東宝興行株式会社」、「新東宝映画株式会社」とは別会社である。⇒ #倒産後新東宝映画
== 略歴・概要 ==

=== 東宝大争議から ===
第二次世界大戦終結から1年が経過した1946年(昭和21年)11月、第二次東宝争議の最中、東宝の経営者側にも、政治的な労働組合側にもつかないと立ち上がった俳優・大河内傳次郎に賛同した、長谷川一夫黒川弥太郎入江たか子藤田進花井蘭子山田五十鈴原節子山根寿子高峰秀子の十大スターが「十人の旗の会」を結成して組合を脱退した。同時に組合を脱退した百数十名の有志とともに、東宝撮影所(現在の東宝スタジオ)敷地外に戦前に増設した「東宝第二撮影所」(のちの国際放映撮影所、現在の東京メディアシティ)を母体にして、4か月後の1947年(昭和22年)3月25日に新東宝映画製作所を創業した。渡辺邦男斎藤寅次郎らの監督も新東宝に移籍した。
新東宝映画製作所の創業年のラインナップは、下記の通り〔1947年 公開作品一覧 - 109作品 日本映画データベース。〕。
# 『東宝千一夜』、構成中村福(市川崑)、2月25日公開
# 『さくら音頭 今日は踊って』、監督渡辺邦男、3月25日公開
# 『九十九人目の花嫁』、監督佐藤武、4月22日公開
# 『大江戸の鬼』、監督萩原遼 / 志村敏夫、5月6日公開
# 『見たり聞いたりためしたり』、監督斎藤寅次郎、6月17日公開
# 『かけ出し時代』、監督佐伯清、7月15日公開
# 『誰か夢なき 前篇』、監督渡辺邦男、8月12日公開
# 『誰か夢なき 後篇』、監督渡辺邦男、8月19日公開
# 『浮世も天国』、監督斎藤寅次郎、共同製作吉本プロダクション、9月16日公開
# 『愛よ星と共に』、監督阿部豊、9月24日公開
# 『幸福への招待』、監督千葉泰樹、10月30日公開
# 『ぼんぼん』、監督佐伯清、11月4日公開
第1作の『東宝千一夜』は、東宝作品のアーカイヴ・フッテージを「十人の旗の会」メンバーを中心に、市川崑が「中村福」の偽名で再編集したものであった。本格的な製作は、渡辺邦男監督、長谷川一夫主演の『さくら音頭 今日は踊って』からである。いずれも、東宝が配給し、争議による製作不能に陥った東宝のプログラムを埋めていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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