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ロレンツォ2世・デ・メディチ : ミニ英和和英辞書
ロレンツォ2世・デ・メディチ[ろれんつぉ2せいでめでぃち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ロレンツォ2世・デ・メディチ : ウィキペディア日本語版
ロレンツォ2世・デ・メディチ[ろれんつぉ2せいでめでぃち]

ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ(Lorenzo di Piero de 'Medici, 1492年9月12日 - 1519年5月4日)は、イタリアフィレンツェ僭主1516年から1519年までその権力を保った)、ウルビーノ公ニッコロ・マキャヴェッリの『君主論』はロレンツォに献上された。
ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチとアルフォンシーナ・オルシーニの子として、フィレンツェで生まれた。父方の祖父母は、ロレンツォ・デ・メディチとクラリーチェ・オルシーニである。
1516年、叔父である教皇レオ10世によりウルビーノ公に叙任された。それまでウルビーノ公であったフランチェスコ・マリーア1世から公位を短期間だが奪取し、ロレンツォは1万人の兵を要する司令官となった。と呼ばれたこの戦いで、いったん負傷してトスカーナへ退却するが、同年9月のうちにウルビーノ公領を再獲得した。
1518年6月、オーヴェルニュ伯女マドレーヌと結婚。翌年4月に長女カテリーナが生まれるが、その21日後にロレンツォは梅毒で急死した。これによりウルビーノ公にはフランチェスコ・マリーア1世が返り咲いた。のちにカテリーナは遠縁にあたるローマ教皇クレメンス7世の政略により、フランスアンリ2世妃となった(フランス語名はカトリーヌ・ド・メディシス)。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロレンツォ2世・デ・メディチ」の詳細全文を読む




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