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レイテ戦 ( リダイレクト:レイテ島の戦い ) : ウィキペディア日本語版
レイテ島の戦い[れいてとうのたたかい]

レイテ島の戦い(レイテとうのたたかい)は、1944年(昭和19年)10月20日から終戦までフィリピンレイテ島で行われた、日本軍アメリカ軍の陸上戦闘である。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった。
== 決戦前夜 ==

*1944年3月 第14軍、大本営の直属(1942年6月 - )から再び南方軍に編入される
*4月 南西太平洋方面連合軍司令官ダグラス・マッカーサー大将、ニューギニアホーランジアにフィリピン奪還司令部を置く
*6月 南方軍、総司令部をシンガポールからマニラに移す
*7月24日 大本営、捷号作戦準備を決定し、南方軍、関係軍司令官に下令する
*7月28日 第14軍から第14方面軍に改編される。その下に第35軍創設
*8月下旬 第14方面軍司令官 黒田重徳中将が更迭される
*9月15日 米統合参謀本部、マッカーサー将軍に対し10/20にレイテに上陸、ニミッツ提督は「これに協力」と命令を下す
*9月21、22日 米機動部隊、マニラを空襲。日本軍の被害甚大。対日協力のフィリピン大統領ラウレル、対米英宣戦を布告
*9月28日 第一方面軍司令官 山下奉文大将、満州牡丹江から軍用機で立川へ。3年ぶりに日本の土を踏む
*9月29日 山下大将、大本営に出頭。翌日、宮中に伺候する。山下大将、第14方面軍司令官に着任
*10月5日 山下大将、軍用機で所沢飛行場を飛び立つ。翌日夕刻、マニラ市に到着
*10月7日 山下大将、参謀長をはじめ、多くの参謀を若手に入れ替えるなどの第14方面軍司令部の再編成を行う。新参謀長に武藤章中将が任命される(当時、武藤は在スマトラの近衛第2師団長の職にあった。マニラ赴任は10/20の夜である)
*10月11日 山下大将、隷下兵団長と会同し、作戦計画を明示する
:米機動部隊(ハルゼー提督)、ルソン島北部アパリ飛行場を空襲。翌日、台湾南部を空襲する
*10月12〜15日 台湾沖航空戦
*10月15日 第26航空戦隊司令官有馬正文海軍少将、96機を率いてフィリピン・ダバオ基地を出撃。台湾沖で戦死する
*10月17日 レイテ島周辺に台風接近。米軍、レイテ東方海上に集結。部隊は戦闘艦艇157隻、輸送船420隻、特務艦船157隻、兵力は20万名以上である
:米軍、レイテ湾口の小島スルアンに上陸。スルアン島の日本軍守備隊全滅
*10月18日 米軍、レイテ島内の日本軍の重要飛行場を空襲する
*10月19日 陸軍参謀本部、捷一号第一次発動を下命する。同日午後、連合艦隊は捷一号作戦発動を下命する
*10月20日 同日午前10時、米軍、艦砲射撃支援のもとにレイテ島タクロバン、その南方30キロのドラッグに上陸開始

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Leyte 」があります。




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