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リーゼル・フーバー : ミニ英和和英辞書
リーゼル・フーバー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リーゼル・フーバー : ウィキペディア日本語版
リーゼル・フーバー[ちょうおん]

リーゼル・フーバーLiezel Huber, 1976年8月21日 - )は、アメリカ合衆国の女子プロテニス選手。南アフリカダーバン出身で、2007年7月にアメリカ市民権を取得した。ダブルスの得意な選手で、WTAツアーでダブルス53勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス131位、ダブルス1位。フォアハンド・ストロークを得意とするベースライン・プレーヤーである。既婚。
== 来歴 ==
母親の勧めで5歳からテニスを始め、1993年4月にプロ転向。1998年全仏オープン全米オープンで2度シングルスの本戦に出場したが、彼女の4大大会シングルス出場はこの2度だけである。2000年2月19日、コーチのトニー・フーバー(Tony Huber)と結婚。彼女の旧姓は「リーゼル・ホーン」(''Liezel Horn'')といったが、結婚後は夫の姓だけを使用して「リーゼル・フーバー」と名乗っている。結婚した年は、シドニー五輪の女子ダブルスでアマンダ・クッツァーとペアを組んだ(1回戦で敗退)。
2001年9月23日、日本東京有明コロシアムで行われた「トヨタ・プリンセス・カップ」の女子ダブルスでツアー初優勝を達成する。パートナーはジンバブエカーラ・ブラックと組み、第1シードの杉山愛&キム・クライシュテルス組を 6-1, 6-3 で破っての初優勝だった。この後日本の「ジャパン・オープン」にも出場し、オーストラリアレイチェル・マッキランとのペアで優勝した。ここから、リーゼル・フーバーはダブルスのスペシャリストとしてのキャリアを開花させる。2002年は女子ダブルスで1勝、2003年は5勝を挙げた。2003年3月末の「マイアミ・マスターズ」と4月第1週のサラソタ大会で2週連続優勝を記録した時は、その2週連続で浅越しのぶ宮城ナナの日本ペアを決勝で破ったこともある。マイアミではマグダレナ・マレーバとペアを組み、サラソタでは2000年秋からダブルスに復帰したベテランのマルチナ・ナブラチロワと組んで優勝した。
2004年ウィンブルドンでは女子ダブルスの2連覇を目指した杉山愛をうまくサポートできず、決勝でカーラ・ブラックジンバブエ)とレネ・スタブスオーストラリア)の組に 3-6, 6-7 のストレートで敗れてしまった。杉山とフーバーの組は、この年の全豪オープンはベスト4、全仏オープンは1回戦敗退に終わっている。前年まで杉山はキム・クライシュテルスとペアを組み、2003年全仏オープンウィンブルドンで4大大会女子ダブルス2連勝を成し遂げたが、クライシュテルス側の事情でペアを解消した経緯がある。フーバーはクライシュテルスに比べると、杉山のダブルス・パートナーとしてはやや不向きな点があった。
2005年、リーゼル・フーバーとカーラ・ブラックのペアは全仏オープンウィンブルドンの2大会連続で4大大会ダブルス決勝進出を果たす。全仏オープンの女子ダブルス決勝ではビルヒニア・ルアノ・パスクアルスペイン)&パオラ・スアレスアルゼンチン)の強豪ペアに敗れたが、ウィンブルドンの女子ダブルス決勝でスベトラーナ・クズネツォワ&アメリ・モレスモ組を 6-2, 6-1 のストレートで破り、前年に杉山とのペアで果たせなかったウィンブルドン・ダブルス優勝を飾った。この偉業により、フーバーは南アフリカの「最優秀女子スポーツ選手賞」を受賞した。
2007年全豪オープン女子ダブルスで、フーバーとブラックは台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を 6-4, 6-7, 6-1 で破り、4大大会女子ダブルス2勝目を挙げた。ウィンブルドン女子ダブルス決勝でも、2人は杉山愛&カタリナ・スレボトニク組を 3-6, 6-3, 6-2 で破り、当年度の4大大会女子ダブルス年間2冠を達成している。2007年7月、フーバーはアメリカ国籍を取得した。11月の女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権のダブルスで優勝した後、彼女は初めてダブルスランキング「1位」を記録した。
2008年北京五輪で、リーゼル・フーバーはアメリカ代表選手として女子ダブルスに出場し、リンゼイ・ダベンポートとのコンビで準々決勝に進んだ。オリンピック終了後、フーバーとブラックは全米オープン女子ダブルス初優勝を達成する。フーバーにとっては初進出の全米決勝で、2人はリサ・レイモンド&サマンサ・ストーサー組を 6-3, 7-6 で破った。これでフーバーは、キャリア4冠のため全仏オープンを残すのみとなった。
2010年4月にフーバーとブラックはペアを解消した。その後はベサニー・マテック=サンズナディア・ペトロワなど多くの選手とペアを組んだが2011年4月からはリサ・レイモンドと組むようになる。2011年全米オープンでは決勝に進出し、バニア・キング&ヤロスラワ・シュウェドワ組を 4-6, 7-6(5), 7-6(3) で破って優勝し4大大会女子ダブルス5勝目を挙げた。
混合ダブルスでのフーバーは、これまで2001年ウィンブルドン2005年全豪オープン2008年全米オープンと3度の準優勝に止まっていたが、2009年全仏オープンボブ・ブライアンアメリカ)とペアを組んで初優勝を遂げた。決勝戦で2人はマルセロ・メロブラジル)&バニア・キング(アメリカ)組と対戦し、5-7, 7-6 で1セット・オールになった。全仏オープンのダブルスでは、混合のみ10ポイント・タイブレーク決戦方式(通称:スーパータイブレーク方式)で勝敗を決定する。この方式では、1セット・オールになった時は10点制のタイブレークを行い、先に10ポイント取った方が勝者になる。フーバーとB・ブライアンはタイブレークを 10-7 で取り、フーバーは(女子ダブルスで唯一優勝がない)全仏オープンで混合ダブルス初優勝を決めた。2010年全米オープンでもB・ブライアンとのペアで決勝に進出しクベタ・ペシュケ&アイサム=ウル=ハク・クレシ組を 6–4, 6–4 で破り2つ目の混合ダブルスタイトルを獲得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リーゼル・フーバー」の詳細全文を読む




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