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リュドミーラ・サヴェーリエヴァ : ミニ英和和英辞書
リュドミーラ・サヴェーリエヴァ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リュドミーラ・サヴェーリエヴァ ( リダイレクト:リュドミラ・サベーリエワ ) : ウィキペディア日本語版
リュドミラ・サベーリエワ[ちょうおん]

リュドミラ・サベーリエワまたはリュドミーラ・サヴェーリエヴァ(、Lyudmila Savelyeva、1942年1月24日 - )は、ソビエト連邦/ロシアの映画女優バレリーナ。レニングラード、現サンクトペテルブルク出身。
== 略歴 ==
リュドミラ・サベーリエワはレニングラード包囲戦の渦中に生まれた。
1962年、レニングラード・バレエ学校(現ワガノワ・バレエアカデミー)を卒業し、レニングラード・キーロフ歌劇場(現マリインスキー劇場)の一員となった。1964年、参加したバレエ『(眠れる森の美女)』によってスクリーン・デビューを果たした。
レフ・トルストイ原作の『戦争と平和』の映画化の準備中であったセルゲーイ・ボンダルチューク監督の助手が彼女に注目し、サベーリエワはスクリーンテストのためにモスクワに招かれた。それまで全く演技経験の無かった彼女がナターシャ・ロストワ役を射止める可能性は低かったが、何度もテスト、チェック、リハーサルを重ねた後、ボンダルチュークはサベーリエワの既存の女優には無い潜在能力を認め、彼女を抜擢した。映画は撮影に数年間を要する大作であった。ボンダルチューク自身も主役のピョートル・ベズーホフ伯爵を演じた。
1966年(昭和41年)6月19日、『戦争と平和』第1部の日本公開のためボンダルチューク、アンドレイ役のヴャチェスラフ・チーホノフ、エレン役で出演したボンダルチュークの妻のイリーナ・スコブツェワСкобцева, Ирина Константиновна)らと共に来日。翌日の6月20日には、東京都港区にある東京プリンスホテルで記者会見を行った。
『戦争と平和』は1968年の米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、サベーリエワは国際的に知られるようになり、マルチェロ・マストロヤンニソフィア・ローレンと共演したヴィットリオ・デ・シーカ監督のイタリア映画ひまわり』(1970年)にも出演した。1985年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国から「ロシア国民俳優」()の称号を贈られた。
夫は俳優のアレクサンドル・ズブルエフ()。ナターリアという娘がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リュドミラ・サベーリエワ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ludmila Savelyeva 」があります。




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