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リュドミラ・ヴァレンティノヴナ・ベルリンスカヤ : ミニ英和和英辞書
リュドミラ・ヴァレンティノヴナ・ベルリンスカヤ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リュドミラ・ヴァレンティノヴナ・ベルリンスカヤ : ウィキペディア日本語版
リュドミラ・ヴァレンティノヴナ・ベルリンスカヤ

リュドミラ・ヴァレンティノヴナ・ベルリンスカヤ (、1960年 - ) は、モスクワ生まれのロシア人ピアニスト、女優。ボロディン弦楽四重奏団の創立者のチェロ奏者ヴァレンチン・ベルリンスキーの娘。
== 略歴 ==
リュドミラ・ベルリンスカヤは弁護士の母と音楽家の父の間に生まれる。父はチェロ奏者でボロディン弦楽四重奏団 の創立者、ヴァレンチン・ベルリンスキー
幼年期を通して両親の知人の多数の芸術家や知識階級の人物からの影響を受ける。例えば作曲家のミェチスワフ・ヴァインベルク, ドミートリイ・ショスタコーヴィチ, アルフレート・シュニトケ, ソフィア・グバ イドゥ―リナ ; 演奏家ムスティラフ・ロストロポーヴィッチ, ダヴィド・オイストラフ, ダニイル・シャフラン, ヤコフ・ザーク, アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル, ヤコフ・フリエール ; 指揮者ユーリ・テミルカーノフ, エフゲニー・スヴェトラーノフ, ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー, ドミトリー・キタエンコ ; 画家アナトーリ・ズヴェレフ, ニコライ・シリス, ヴァディム・シデュール, ヴラディミール・レンポルト,
ラスタム・ハンダモフ, ドミートリイ・クラスノペヴツェフ, 作家 アレクサンドル・ソルジェニーツィン またはアカデミー会員 アンドレイ・サハロフ.
ベルリンスカヤは5歳でピアノを始め、その一年後にはグーネシン音楽アカデミーエフゲニー・キーシンニコライ・デミジェンコに教えたことでも知られるアンナ・カントールのクラスに入る。17歳でモスクワ音楽院のミカイル・ヴォスクレッセンスキーのクラスに入学。
14歳よりボディロン管弦四重奏団と舞台に出るようになる;15歳でオーケストラでの演奏を始める。ソロまたはバルト三国、カムチャッカ、ウクライナ、シベリアの室内楽団として旧ソ連各地のツアーにアレクサンドル・ルディンアレクサンドル・クニアゼフと共に参加。17歳よりユーリ・バシュメットヴィクトル・トレチャコフのような有名な音楽家と共演した。19歳にはすでにモスクワ、サンクトペテルブルク、ニジニ・ノヴゴロトや文化都市の旧ソ連屈指の大舞台で活躍した。

彼女の音楽家としての人生と並行して大きな出来事に参加することになる:13歳の時にベルリンスカヤはバランタン・セリヤノフ監督の「大宇宙旅行」 (露)の主役の一人として抜擢されたのである。この映画は驚くべき成功を成し、この世代の象徴的存在となった。この映画の為に彼女自身、主題歌2曲(Ты мне веришь или нет ; млечный путь)に参加。このアレクセイ・リブニコフ作曲の2大ヒット曲は大衆音楽として今日もロシアのラジオでよくかけられている。続いて彼女は映画出演への多数のオファーを受けるが、音楽の為にすべてを辞退した。

15歳でベルリンスカヤはスヴャトスラフ・リヒテルの取り巻きの特権グループの輪に入る。リヒテル本人から選ばれ、庇護された彼女はリヒテルを魂の父と尊敬し、この偉大なる芸術家の周りに君臨した創作環境を吸収した。この時代を通し1970年代の終わりから1980年の初頭まで少々特別な栄誉であった、リヒテルの譜めくりに任命された。それに加えてリヒテルからの個人的な影響は彼女の将来の選択にも痕跡を残している。彼女は多くのアーティスト: ユーリ・ボリソフ, エフゲニー・ムラヴィンスキー, ガリーナ・ウラノワ, ボリス・ポクロヴスキー, イワン・コズロヴィスキー, ディートリッヒ・フィッシャ=ディースカウ, ペーター・シュライアー, クリストフ・エッシェンバッハ, ウラジミール・ワシーリエフ, スタニスラフ・ネイガウス, ナターリャ・グードマン, オレグ・カーガン, イノケンチ・スモクトゥノヴィスキー などと交際することで近い彼との関係を活用した。
彼女はとりわけリヒテル監修のプーシキン美術館でのフェスティバルに参加。« 12月の夜 »フェスティバルでの各年のプログラムはコンサートが行われる会場の企画展やテーマに親密に結びつけられている。

このフェスティバルの多数の参加の中でも1985年のフェスティバルの際のリヒテルとの連弾とブリテンの「ねじの回転」のピアノ演奏部分をぎりぎりの時点で代役になったことが特記できる。
コンクールの場での彼女のためらいを良く知っていたリヒテルはベルリンスカヤにコンクールに身を投じないよう勧めるが、いくつかの経験後、それは1位受賞(パリ、フィレンツェ室内楽コンクール一位; レオナルド賞)によって清算された。その後彼女は助言に従い、国際コンクール出場を放棄した。
若いオーケストラ指揮者ヴラディミール・シヴァと彼女が出会ったのはリヒテル邸であった。結婚後、男の子、ドミートリイ・ベルリンスキーを授かります(同名のヴァイオリニストとの混同に注意)現在、ベルリンスカヤの息子はパヴェル・ゴムジアコフ、ナタリア・チャコヴスカヤ、ローラン・ピドゥと共に学んだプロのチェロ奏者です。
1990年代初頭、ベルリンスカヤは2番目の夫アントン・マタラエフエビアン・コンクールでグランプリを獲得したばかりだった、アントン弦楽四重奏団のヴァイオリン第一奏者)と共にパリに移住します。彼女が定期的にムスティスラス・ロストロポーヴィッチとの共演を始めたのはここパリでした。パリ市庁舎での初コンサート後、当時のパリ市長夫人、シラク(元大統領)夫人がベルリンスカヤにロシア音楽サロン・フェスティバルを作り上げるチャンスを与えた。
アントン・マタラエフとの間には一人娘、マーシャ・マタラエフがいます。アントン・マタラエフは2002年に死去。
1990年代は多くの出会いとコンサート奏者としての過密な活動に恵まれます。ロンドンのウィグモアホール、バービカンホール、アムステルダムのコンセルトヘボウ、パリのシャンゼリゼ劇場やサル・カヴォ、モスクワ音楽院、ヴェネチアのフェニーチェ劇場、ブリュッセルやマドリッドの王国アカデミーなどの有名な国際ホールでのリサイタルや室内楽コンサート、多くのフェスティバルに姿を現しました。
室内楽の権威のベルリンスカヤは多くのパートナーから共演を懇願されています:ゴティエ・カピュソン, アンリ・デマルケット, ダヴィッド・ゲリンガス, アラン・ムニエ, パヴェル・ゴンジアコヴ, フィリップ・ミュラー, ドミニク・ド・ウェリエンクール, ジェラール・プレ, サラ・ネムタニュ, ジェラール・コセ, ジャン=マルク・リュイザダ, フランソワ=ルネ・
デュシャーブル
, ポール・メイヤー, モディリアーニ弦楽四重奏団, オルランド弦楽四重奏団, ダネル弦楽四重奏団, ファインアーツ・カルテット, サンクトペテルブルク弦楽四重奏団, アルデオ弦楽四重奏団, モラゲ弦楽五重奏団 その他威信のある楽団。
ベルリンスカヤはショスタコーヴィッチの権威だとみなされている。
威信のある共演者達と珍しい作品、未発表作品も含め彼のすべての室内楽曲をピアノで演奏した。
2001年、彼女にとって二回目のフェスティバル「パリの音楽の春」を監督。パリ市内の異なった会場で繰り広げられた。フェスティバルはとりわけアレクサンドル・スクリヤービンの「プロメテ・火の歌」のパリ作品発表やジョージ・バランソンに続く「オバード、ピアノと18の楽器のための舞踊協奏曲」のパリ初公演をダンサーと共に果たした。
ピアニストの活動と並行して2006年より「パリエコールノルマル音楽院アルフレッド・コルトー」で教鞭を執っている。
2008年12月15日のヴァレンチン・ベルリンスキーの死に伴い2009年6月にベルリンスキー協会を創立

2011年彼女の夫とフランス人ピアニスト、アルチュール・アンセルと一緒にピアノのデュオを結成。2012年春に«サフィール・プロダクション»から一枚目のアルバムを発表。チャイコスフキーの作品に捧げたこのアルバムは多くの称賛を得た。二枚目のアルバム、セルゲイ・プロコフィエフのバレエ音楽を取り上げた作品は2014年に«メロディヤ»レーベルから発表される。これはソビエト連邦崩壊後、当レーベルからの初の録音、製作になります。
ベルリンスカヤはロワール・エ・シェール県の新しい音楽フェスティバル「ラ・クレ・デ・ポルト- 門の鍵」の共同音楽監督である。
このフェスティバルはシャンボールの門企業協会の推進の元、制作された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リュドミラ・ヴァレンティノヴナ・ベルリンスカヤ」の詳細全文を読む




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