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ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー : ミニ英和和英辞書
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー : ウィキペディア日本語版
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー[ちょうおん]

ゲンナジー・ニカライエヴィチ・ロジェストヴェンスキーロシア語:ギンナーヂイ・ニカライエヴィチ・ラジュヂェーストヴィェンスキイラテン文字転写:''Gennady Rozhdestvensky''、1931年5月4日 - )はロシア人指揮者日本語名は慣用で、正しくはロジュジェストヴェンスキー、ロジュデストヴェンスキーなどとなる。''ギンナーヂイ・ニカライエヴィチ・ラジュヂェーストヴィェンスキイラテン文字転写:''Gennady Rozhdestvensky''、1931年5月4日 - )はロシア人指揮者日本語名は慣用で、正しくはロジュジェストヴェンスキーロジュデストヴェンスキーなどとなる。
== 概要 ==
モスクワ生まれ。音楽家一家に生まれ、本名はゲンナジー・ニコライェヴィチ・アノーソフ()であったが、職業音楽家として活動するにあたって、有名な父親ニコライ・アノーソフとの混同を避けるために、母親の旧姓をもらい受けた。モスクワ音楽院で指揮を父親に、ピアノレフ・オボーリンに師事。早くも20歳でボリショイ劇場チャイコフスキーバレエ音楽くるみ割り人形》を指揮して、ただちに名声をかち得る。ソ連邦の作曲家の数々の作品を初演しただけでなく、ベンジャミン・ブリテンのオペラ《夏の夜の夢》をロシア初演した。1969年ピアニストヴィクトリア・ポストニコワと結婚。
1970年代後半から西側で活動する機会が増えたが、当時、名声のあるソ連の音楽家の相次ぐ亡命に神経を尖らせていたソ連当局は、ロジェストヴェンスキーのソ連脱出を警戒して、1983年ソ連文化省交響楽団を創設、その音楽監督に彼を据えた。同楽団は、ソ連崩壊にともない自然消滅するまでの間、彼の指導力のもと、ショスタコーヴィチグラズノフの交響曲全集のほか、シュニトケオネゲルヴォーン=ウィリアムズの作品の録音に加えて、ブルックナーの交響曲を異稿を含めて体系的に録音するという世界初のプロジェクトも実行した。
1957年にボリショイ・バレエに帯同して初来日、以後度々日本を訪れるようになる。1972年には大阪でモスクワ放送交響楽団を指揮してショスタコーヴィチ交響曲第15番のソ連国外初演をしている。1979年読売日本交響楽団と初共演、以後着実に共演を重ね1990年には同団の名誉指揮者に就任。長年ロシア音楽の普及に務めた功績が認められ、2001年秋に勲三等旭日中綬章を受章した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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