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リスボン丸 ( リダイレクト:りすぼん丸 ) : ウィキペディア日本語版
りすぼん丸[りすぼんまる]

りすぼん丸(りすぼんまる)は、日本郵船1920年に竣工させた貨物船太平洋戦争イギリス兵捕虜を輸送中にアメリカ海軍潜水艦により撃沈されて約850人の死者を出し、いわゆるヘルシップの1隻として知られる(りすぼん丸事件)。船名を片仮名でリスボン丸と表記する文献もあるが、登録船名は平仮名である。
== 船歴 ==
りすぼん丸は、対馬丸などと同じT型貨物船系列の1万載貨重量トン級大型貨物船として〔岩重多四郎 『戦時輸送船ビジュアルガイド2―日の丸船隊ギャラリー』 大日本絵画、2011年、62頁。〕、1919年(大正8年)に横浜船渠で起工された。T型貨物船系列のうちりま丸およびりおん丸とともにL型貨物船とも呼ばれるグループに属する。
1920年(大正9年)に竣工後、姉妹船とともにパナマ運河経由のニューヨーク行き定期線へ就航した。日本郵船の主力貨物船として活躍したが、1930年頃には大阪商船畿内丸型貨物船など競合各社の船に速力や燃費で劣るようになり、1934年(昭和9年)に就役したN型貨物船と交代でニューヨーク航路を去った。以降はムンバイ航路〔「ボンベイ同盟ペルシャに直航路開設―運賃約十円方引下げ 」『大阪毎日新聞』1934年11月20日。〕やヨーロッパ航路で運航された〔「伊太利参戦と我財界―対欧貿易は一応支障 先行楽観意見も濃厚 」『中外商業新報』1940年6月12日。〕。
日本が対米戦の準備に着手すると、りすぼん丸も1941年(昭和16年)11月1日に日本陸軍によって徴用され〔日本郵船(1971年)、128頁。〕、船倉へ蚕棚と呼ばれる兵員輸送用の多段式ベッドを設置するなど軍隊輸送船として改装された。りすぼん丸は同年12月24日、同じT型の龍野丸、豊橋丸、富山丸を含む23隻の輸送船とともにフィリピンの戦いルソン島への上陸戦に参加した。その後、1942年(昭和17年)2月2日に第21師団を乗せて護送船団に8番船として加入し馬公からハイフォンへ向かおうとした際、出港直後に日本海軍が敷設したへ入りこみ付属機雷が爆発して大破、19人が死傷した〔馬公警備府司令部 『自昭和十七年二月一日 至昭和十七年二月二十八日 馬公警備府戦時日誌』 JACAR Ref.C08030508800、画像3枚目。〕。馬公警備府へ曳航して応急修理の後、香港造船所で9月18日まで本修理を受けた〔船舶司令官 佐伯文郎 「りすぼん丸沈没ニ関スル件報告」『昭和十七年 陸亜密大日記』56号2/3、JACAR Ref.C01000849600〕。復旧したりすぼん丸は、9月27日に香港にいた捕虜及び便乗日本兵を乗せて日本本土へ出港したが、後述のように10月1日にアメリカの潜水艦グルーパーの雷撃により翌日に沈没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「りすぼん丸」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lisbon Maru 」があります。




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