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リキエイカン : ウィキペディア日本語版
リキエイカン

リキエイカン日本競走馬第20回阪神3歳ステークス第61回天皇賞の優勝馬である。
*当項目では馬齢については原則旧表記(数え)で表記する。
== 略歴 ==

=== 競走馬時代 ===
高橋成忠主戦騎手として、1968年札幌競馬場でのデビュー戦を勝利後、条件特別戦を1勝して6戦2勝で臨んだ阪神3歳ステークスでは、のちの桜花賞ヒデコトブキファインハピーなどを下して勝利した。
1969年、明け4歳となったリキエイカンはクラシック路線に向かったが、皐月賞では16着に大敗、日本ダービーでは4着となった。その後、休養をはさんで出走した札幌記念では、古馬勢を相手にマーチスの2着に健闘。京都杯を経て臨んだ菊花賞では、アカネテンリュウの2着に敗れたものの、その実力を示した。
1970年、明け5歳になったリキエイカンは、スワンステークスとオープン2勝の5戦3勝で、日本万国博覧会のために阪神競馬場で行われた天皇賞(春)に出走した。
レースでは、逃げた池江泰郎騎乗のホウウンを直線で捉え、追い込んできた野平祐二騎乗のフイニイを抑えて優勝し、アカネテンリュウ(5着)への雪辱も果たした。
しかし、このあとの戦績は芳しくなく、重賞競走での最高順位は1971年函館記念札幌記念の2着で、24戦してオープンの4勝のみに終わり、関西世代ナンバー1の地位は年度代表馬トウメイに奪われる結果となった。途中、管理調教師であった柏谷富衛ばんだい号墜落事故で死去したため、橋田俊三厩舎に転厩するなどの不運な出来事もあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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