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ランディ・タイラー : ミニ英和和英辞書
ランディ・タイラー[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ランディ・タイラー : ウィキペディア日本語版
ランディ・タイラー[らん]

ランディ・タイラーRandy Tyler、本名:Monroe Alton Rice Jr.1951年12月13日 - 2002年7月22日)は、アメリカ合衆国プロレスラーミシシッピ州カントン出身。生年は1949年、出身地はカナダモントリオールともされる〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P76(2002年、日本スポーツ出版社)〕。
巨漢のラフ&パワーファイターとして、NWA南部テリトリーを主戦場に、主にヒールのポジションで活動した。
== 来歴 ==
キャリア初期の1960年代末から1970年代前半にかけてはリップ・タイラーの「弟」を名乗り、リップとの兄弟ギミック悪役タッグチームタイラー・ブラザーズで活動。ジョージアアラバマといったディープサウスから、地元ミシシッピオクラホマなどミッドサウスのトライステート地区まで各地を転戦し、1974年9月にはルイジアナ州ニューオーリンズにてスタン・ハンセン&ボブ・スウィータンと対戦した。
タイラー・ブラザーズ解散後、ボビー・ジャガーズを新パートナーにテキサス西部のアマリロ地区で活動。ドリー・ファンク・ジュニアスコット・ケーシーレイ・スティーブンスらと対戦し、フランク・グーディッシュとも大型タッグを組んだ。1976年4月16日にはジャガーズとのコンビでリッキー・ロメロ&シルバー・ストリークからNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を奪取している。
以降、中西部セントラル・ステーツ地区などを転戦後、1978年8月に全日本プロレスに初来日。6人タッグマッチでミル・マスカラス&ドス・カラスのパートナーにも起用された。帰国後は古巣のトライステート地区にてベビーフェイスに転向、11月18日にマイク・ジョージと組んでボビー・ジャガーズ&ジェリー・ブラウンから同地区認定のNWA USタッグ王座を奪取した。
1979年テネシー州メンフィスCWA(旧NWAミッドアメリカ、後のUSWA)に参戦し、ロン・バスを相手に南部ヘビー級王座を巡る抗争を展開。帝王ジェリー・ローラーともタッグを組み、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディファビュラス・フリーバーズラリー・レイザム&ウェイン・ファリスのブロンド・ボンバーズなどと対戦した。
1980年6月、当時テネシー地区との提携ルートを持っていた国際プロレスに来日。スパイク・ヒューバージェイク・ロバーツなど同年代の若手外国人選手が中心となったシリーズにおいて、その巨体を買われラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座への挑戦権を獲得。7月13日の兵庫県八鹿町大会にて挑戦したが、木村が初公開した裏足4の字固めに敗れた。
その後、R・T・タイラーと名乗ってフロリダ地区にてボビー・ジャガーズと再合体、ジャガーズのギミックに合わせてカウボーイ・スタイルのヒールに変身し、カウボーイ・コネクションなるタッグチームを結成。1980年12月20日、バリー・ウインダム&スコット・マギーからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取し、翌1981年にかけてダスティ・ローデスマニー・フェルナンデスバグジー・マグロースティーブ・カーンジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコらと抗争。ローデス&アンドレ・ザ・ジャイアントのドリーム・チームともタイトルを争った〔。
1981年下期はカルガリースタンピード・レスリングに参戦し、同じくカウボーイ系ギミックのビル・アーウィンとのタッグなどで活動。デビッド・シュルツとの連戦も行われた。同地区ではベビーフェイスのポジションに回り、若手時代のブレット・ハートともタッグを組んでいる。
セミリタイア後は、1984年12月4日にジム・クロケット・プロモーションズハウス・ショーにてNWA USヘビー級王者ワフー・マクダニエルと対戦。WWFのTVテーピングにも単発出場しており、1988年11月15日にはアルティメット・ウォリアー1991年3月26日にはカート・ヘニングと、当時のWWFインターコンチネンタル王者ジョバーを務めた。
2002年7月22日、死去〔。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランディ・タイラー」の詳細全文を読む




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