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ジェリー・ブリスコ : ミニ英和和英辞書
ジェリー・ブリスコ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェリー・ブリスコ : ウィキペディア日本語版
ジェリー・ブリスコ[ちょうおん]

ジェリー・ブリスコJerry Brisco、本名:Floyd Gerald Brisco1946年9月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、現WWEプロデューサー。オクラホマ州オクラホマシティ出身。
NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコの実弟であり、彼と同じくアメリカン・インディアンの血を受け継いでいる〔『THE WRESTLER BEST 1000』P38(1996年、日本スポーツ出版社)〕。2008年には、兄と共にWWE殿堂に迎えられた。
息子のウェスリー・ブリスコもプロレスラーであり、WWEの傘下団体FCWでウェス・ブリスコと名乗って活動していた。
== 来歴 ==

=== NWA時代 ===
ジャック・ブリスコの後を追い、1967年にデビュー〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P53(2002年、日本スポーツ出版社)〕。1969年7月には日本プロレスに初来日している。なお、日本では「中西部の若駒」なる異名が付けられていた〔『THE WRESTLER BEST 1000』P247(1996年、日本スポーツ出版社)〕。
1970年代は主にジャックのタッグ・パートナーとして、フロリダエディ・グラハム主宰のCWF)やジョージアジム・バーネット主宰のGCW)などNWA南部テリトリーを中心に活動。フロリダのCWFでは、1971年2月16日にジャックとのブリスコ・ブラザーズ(''The Brisco Brothers'')でジ・インフェルノスからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取。以降、同年4月13日にザ・ファンクス1977年1月10日にボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア、同年6月3日にスーパースター・ビリー・グラハム&オックス・ベーカー1978年1月25日にミスター・サイトー&イワン・コロフ、同年6月13日にはサイトー&ミスター・サトなど、数々の強豪チームを破り同王座を再三獲得した。
特に、ザ・ファンクスとはオーキー(オクラホマ人)対テキサン(テキサス人)、インディアンカウボーイという図式のもと1980年代初頭まで南部各地で抗争を展開しており(ポジションはブリスコ兄弟がベビーフェイス、ファンク兄弟がヒール)、ジョージアのGCWでは1978年から1979年にかけてNWAジョージア・タッグ王座を争った。同王座は1975年にも1月にロッキー・ジョンソンと組んでバディ・コルト&ロジャー・カービーから、10月にボブ・バックランドと組んでトール・タナカ&ミスター・フジから奪取しており、ジャックとのコンビでは1979年11月30日にもマスクド・スーパースター&オースチン・アイドルを破って獲得している〔。
シングルでは1974年5月21日、GCWにてジョージア版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座をボビー・ダンカンから奪取。CWFでは同年8月にパク・ソン1975年11月にハーリー・レイス1978年7月にディック・スレーターを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルであるNWA南部ヘビー級王座を通算3回獲得した。抗争相手ザ・ファンクスの本拠地アマリロでは、1976年4月16日にスコット・ケーシーからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取している。この間、日本には1974年1月、1975年7月、1976年7月に全日本プロレスに来日した。
1980年代に入ってからもフロリダのCWFを主戦場に、エディ・グラハムやダスティ・ローデスの懐刀となってブッカー業務も担当。選手としてはジュニアヘビー級戦線で活動し、1981年5月にトーナメントの決勝でヒロ・マツダを破り、NWAフロリダ・ジュニアヘビー級王座を獲得。同年9月16日にはレス・ソントンからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取、兄と合わせての「NWA2階級制覇」を果たした。
1983年からはノースカロライナNWAミッドアトランティック地区にもジャックとの兄弟コンビで参戦、同地区ではヒールのポジションに回り、リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドワフー・マクダニエル&マーク・ヤングブラッドなどの人気チームとNWA世界タッグ王座を争っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェリー・ブリスコ」の詳細全文を読む




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