翻訳と辞書
Words near each other
・ ポール・ル・マット
・ ポール・ルーカス
・ ポール・ルーザス
・ ポール・ルーザース
・ ポール・ルーニョン
・ ポール・ルーベンス
・ ポール・レイ
・ ポール・レイノー
・ ポール・レカキス
・ ポール・レノー
ポール・レベック
・ ポール・レヴィ
・ ポール・レヴィ (数学者)
・ ポール・レヴィンソン
・ ポール・レヴェスキュー
・ ポール・レヴェック
・ ポール・ロイター
・ ポール・ロイド・ジュニア
・ ポール・ロジャース
・ ポール・ロスチャイルド


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ポール・レベック : ミニ英和和英辞書
ポール・レベック[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ポール・レベック ( リダイレクト:トリプルH ) : ウィキペディア日本語版
トリプルH[とりぷるえいち]

トリプルH(''Triple H'' <''Hunter Hearst Helmsley''>、1969年7月27日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラー
本名:ポール・マイケル・レヴェック(''Paul Michael Levesque'')。ニューハンプシャー州ナシュア生まれ。
WWE所属、同社タレント部門兼ライブ・イベント部門兼ストーリー部門最高執行役員。
正式のリングネームはハンター・ハースト・ヘルムスリー(''Hunter Hearst Helmsley'')だが、頭文字をとってトリプルHと略して表記、呼称される(J SPORTSのWWE系番組の字幕では、一行あたりの文字数制限のためHHHと表記されている)。公式プロフィールではコネチカット州グリニッチ出身。
D-Generation X後期、2000年夏頃、2002年前半(大腿四頭筋断絶による長期欠場から復帰した直後)などの一時期を除いては、一貫してヒールレスラーであり、ヒールにとっては勲章とも言える観客から浴びるブーイングは他のレスラーと比べ物にならないほど多かった(そしてまた、その裏に込められた賞賛の意も)。レスラーとしての実力も彼のファンから絶賛〔Triple H: Pro Wrestler Hunter Hearst Helmsley- Angie Peterson Pallbearer 2002/07。〕
されリック・フレアーの後継者を自称しており、特に相手の技を受けた時の動き(受身)にはついては「芸術」とも一部ファンから評されている〔Triple H Making the Game: Triple H's Approach to a Better Body - Robert Caprio 2005/11/29。〕

2011年頃からは、主にWWEの経営者側の代表として非情な権力を振るうヒールとして活動しており、レスラーとしてリングに立つ頻度は少なくなっている。
ニックネームは「残忍な知能犯 or 知的な暗殺者 (Cerebral Assassin)」「ザ・ゲーム (The Game)」「王者の中の王者 (The King of Kings)」など。
== 来歴 ==

=== 初期 ===
1986年に高校 (Nashua High School) 卒業後、地元のスポーツジムにトレーナーとして就職。共同マネージャーにまで出世する一方、14歳から始めたボディビルディングに努め、1988年にはアマチュア・ボディビルディングのタイトルである「ティーンエイジ・ミスター・ニューハンプシャー」を獲得した。
1992年からキラー・コワルスキーのもとで修行。プロレスのトレーニングを開始して3週間後の同年3月、コワルスキー主宰のインディー団体IWFでテラ・ライジング (''Terra Ryzing'') のリングネームでデビューし、半年後には同団体の王座を獲得した。
1994年からはWCWに所属。登場当初はIWF時代と同じくテラ・ライジングの名義でリングに上がっていた。その後、没落したフランス貴族の末裔と称し、リングネームをジャン=ポール・レヴェック (''Jean-Paul Levesque'') と改名。英国貴族を称する"ロード" スティーブン・リーガル(現ウィリアム・リーガル)の子分となってタッグチームを結成し、ヒールのポジションで頭角を現した。なお、フランス貴族のキャラクターは、彼の本名 "Levesque" がフランス系の名前だったことに起因している。
同年12月には年間最大のPPV『スターケード』に出場し、第2試合でアレックス・ライトとのシングルマッチが組まれた。また、リーガルとのコンビでWCWタッグ王者となる路線も用意されるなど、WCWでの出世の道も開かれつつあったが、WWF(現:WWE)のトライアウトを受けて合格し、翌1995年からWWFに移籍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トリプルH」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Triple H 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.