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ニューハンプシャー州 : ミニ英和和英辞書
ニューハンプシャー州[にゅーはんぷしゃーしゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ニューハンプシャー州 : ウィキペディア日本語版
ニューハンプシャー州[にゅーはんぷしゃーしゅう]

ニューハンプシャー州(、)は、アメリカ合衆国北東部、ニューイングランド地方に位置するである。州名はイングランド南部のハンプシャーから採られた。南はマサチューセッツ州、西はバーモント州、東はメイン州大西洋に接し、また北はカナダケベック州との国境である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第46位、人口では第42位である。
1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した13植民地の1つとなった。1788年6月21日、アメリカ合衆国憲法を批准した9番目の州となり、憲法成立に必要な州の数を満たしたことで、憲法が効力を発揮した。ニューハンプシャー州は独自の州憲法を持った州としても最初のものだった。
アメリカ合衆国大統領予備選挙が最初に行われる州として知られている。州都はコンコード市、人口最大の都市はマンチェスター市である。州のレベルでも地方のレベルでも消費税所得税が課されていないという特徴がある〔NH has a room and meals sales tax and a business profits income tax. Alaska does not have a statewide sales or income tax, but many Alaska towns have a sales tax.〕。
州のニックネームは花崗岩の州であり、州内に広範な花崗岩の層と採石場があることから来ている。州のモットーは「自由に生きる、もしくは死を("Live Free or Die")」であり、自動車のナンバープレートにも表示されている。
ニューハンプシャー州出身の著名人として、アメリカ合衆国建国の父の1人ニコラス・ギルマン、上院議員のダニエル・ウェブスター、独立戦争の英雄ジョン・スターク、新聞編集者のホレス・グリーリークリスチャン・サイエンスの創設者メリー・ベーカー・エディ、詩人のロバート・フロスト、宇宙飛行士のアラン・シェパード、作家のダン・ブラウンがいる。フランクリン・ピアース大統領も州の出身者である。

==歴史==
:''主要記事:ニューハンプシャー州の歴史''
ニューハンプシャー州となった地域にヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族(アベナキ族、ペナコック族など)が住んでいた。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師が現在のライ町にあるオディオーンズポイントに入植した。最初の恒久的な開拓地はヒルトンズポイント(現在のドーバー市)だった。1631年までにアッパープランテーションが現在のドーバー、ダーラム、ストラサムの町で構成されていた。1679年、このプランテーションが「王室領」となった。植民地人とワバナキ連邦の間に起きたラル神父戦争はニューハンプシャーの全土で戦われた。
アメリカ独立戦争のとき、ニューハンプシャーはイギリスに反旗を翻した13植民地の1つとなった。戦争が始まるときまでに、ニューハンプシャーは分裂した植民地になっていた。海岸部の経済と社会生活は製材所、造船所、商人の倉庫を中心に回り、村や町の中心ができた。裕福な商人は豪華な家を建て、贅沢品で装飾し、資本を貿易や土地投機に投資した。一方社会の末端では、日雇い労働者、船員、年季奉公者、さらには奴隷まで固定的な階層ができていた。
ニューハンプシャーが唯一戦場になったのは、1774年12月14日の襲撃だった。ポーツマス港にあったこの砦で反乱者はかなりの量の火薬、小火器、大砲を手に入れた。襲撃の指揮者ジョン・サリバン将軍は「火薬、小火器、銃剣、弾薬箱、さらに大砲や弾薬の貯蔵品」と表現していた。この襲撃に先立って、前日の12月13日にポール・リビアから地元の愛国者に、砦はボストンから海を渡ってくる部隊で補強されるという警告があった。伝説では、この時の火薬をデメリット少佐が運びバンカーヒルの戦いで使われたとされている。デメリット少佐はニューハンプシャーの愛国者の1人であり、火薬を自分達の家に蓄えておき、革命に使われるよう他所に運んだ。
ニューハンプシャー州はジャクソン流民主主義の地盤だった。1852年の大統領選挙で、州出身のフランクリン・ピアースホワイトハウスに送った。多くの繊維工場が造られて工業化が進行し、ケベックのフランス系カナダ人やアイルランドからの移民が大挙流入した。州北部では製材業が発展し、山岳部は観光地になった。1960年以降に繊維産業が崩壊したが、経済はハイテク産業とサービス産業を核に再生された。
1952年から大統領選挙の年に一番早く予備選挙を行うようになって、国内国外から注目を集めるようになった。二大政党にとっての重要な試金石になっていった。メディアはアイオワ州と並んでニューハンプシャー州の予備選挙に大きな取扱をするようになり、州の影響力を上げていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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