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ラル神父戦争 : ミニ英和和英辞書
ラル神父戦争[らるしんぷせんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神父 : [しんぷ]
 【名詞】 1. Catholic priest 2. abbe 
: [ちち]
 【名詞】 1. (hum) father 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

ラル神父戦争 : ウィキペディア日本語版
ラル神父戦争[らるしんぷせんそう]

ラル神父戦争英語:Father Rale's War)は、ニューイングランド植民地と、ヌーベルフランス及び(特に、、ミクマク族、)との一連の戦いである。他にもダマー戦争ラヴウェルの戦いグレイ・ロック戦争三年戦争第四次インディアン戦争という名称がある(第一次はフィリップ王戦争、第二次はウィリアム王戦争、第三次はアン女王戦争)。また、「1722年から1725年のアベナキ族とニューイングランドの戦争」とも呼ばれる〔ウィリアム・ウィッケンは「1725年の…」の名称を使っている。Wicken, 2002, p. 71〕。この戦争は、東はニューイングランドとアカディアノバスコシアとの境界にあるメインが、西はマサチューセッツ北部とバーモントと、ヌーベルフランスとの境界が舞台となった。ノバスコシアにおける戦いを、歴史家のジョン・グルニエはミクマク=マリシート戦争と呼んだ。この当時、現在のメインとヴァーモント両州は、共にマサチューセッツ湾直轄植民地の領土であった〔''The Far Reaches of Empire: War in Nova Scotia 1710-1760''. University of Oklahoma Press. 2008.〕〔出典の脚注に関して、翻訳元の英語版記事では、一部書名や発行年などの情報が不十分なものもあるが、ここではそのまま表記しておく。〕。
この戦争はメインの辺境地帯で行われたが、メインを含むニューイングランドとアカディアの境界はケネベック川だった。これはヌーベルフランスの定義によるものだった〔William Williamson. ''The history of the state of Maine''. Vol. 2. 1832. p. 27〕〔Griffiths, E. From Migrant to Acadian. McGill-Queen's University Press. 2005. p.61〕〔Campbell, Gary. The Road to Canada: The Grand Communications Route from Saint John to Quebec. Goose Lane Editions and The New Brunswick Heritage Military Project. 2005. p. 21〕 。イギリスによるポートロワイヤルの戦い1710年に終わり、アカディアの中心地ノバスコシアはイギリスの領土となったが、現在のニューブランズウィックとメインは、英仏両国が領有をめぐって、事実上の抗争状態にあった。ヌーベルフランスは、所有権正当化のために、この地のインディアンの4大集落にそれぞれカトリック教会を建てた。一つはケネベック(ノリッジウォック)、一つはペノブスコット川のかなり北の方、一つはセントジョン川の流域、そしてもう一つは、ノバスコシアのシュベナカディ(サンタンヌ教会)だった〔John Grenier, ''The Far Reaches of Empire''. University of Oklahoma Press, 2008, p. 51, p. 54〕〔Northeast Archaelogical research 〕。
アン女王戦争後にユトレヒト条約ヨーロッパで署名されたが、この条約では、ワバナキ連邦について触れられておらず、これがことをややこしくした。アベナキ族はポーツマス条約には署名していたが、この条約では、ノバスコシアがイギリスのものになったことについては、何の協議も持ちかけられず、このためミクマク族は、ニューイングランドの漁師や集落への襲撃といかたちで抗議を行った〔William Wicken. "Mi'maq Decisions: Antoine Tecouenemac, the Conquest, and the Treaty of Utrecht". in John Reid et al (eds) ''The Conquest of Acadia, 1710: Imperial, Colonial and Aboriginal Constructions.'' University of Toronto Press. 2004. p. 96〕。
この戦争は、ニューイングランドの入植地がメイン沿岸部、そしてノバスコシアのカンゾへと拡大したため、主戦場が2つあった。ニューイングランド兵は主に、マサチューセッツ副総督のウィリアム・ダマー、そしてノバスコシア副総督の、大尉の指揮下にあり、ワバナキ連邦と他のインディアン諸族は主に神父、族長との指揮下にあった。
ラレはノリッジウォックで敗北し、その後、インディアンたちが、ケネベック川やペノブスコット川の流域から、サンフランソワボーセジュールへと移住したことで、メインはニューイングランドのものとなった。現在のニューブランズウィックとノバスコシアとでは、戦争終結後の条約により、ヨーロッパ人入植者とミクマク族、マリシート族の関係に大きな転換が起きた。ヨーロッパの勢力が、初めて、ノバスコシア植民地の支配は土着民にゆだねられるべきと正式に認めたのである〔Wicken, 2002, p. 72.〕。
==歴史的背景==

この戦争の原因は、ニューイングランドの入植地がケネベック川(現在はメイン州)に沿って拡大し、ニューイングランドの漁師が、ノバスコシアの方に漁場を求めて移動したことだった。イギリスの永久入植地がカンゾに建てられ、これがこの土地のミクマク族の弱味となった。1713年に、アン女王戦争を終結させたユトレヒト条約には、ノバスコシア半島のイギリスへの割譲が含まれており、それによりニューイングランドは拡大することになった。この条約はヨーロッパで署名されたが、の名は誰一人として書かれておらず、また、はイギリスの入植地拡大について協議をもちかけられてもいなかったため、ニューイングランドの入植地への襲撃という形で、イギリスに抗議していた〔。
はニューイングランドに対して、フランスの利益を主に守るのではなく、自分たちへの待遇、自分たちの事情による、最初で最後の戦いに出ようとしていた。フランスからは協力は得られなかった〔Wicken, p. 96.〕〔''Mi'kmaq Treaties on Trial'', University of Toronto, 2002, p.73.〕。ワバナキ連邦の敵対行為に対して、1720年、ノバスコシア総督のリチャード・フィリップスは、以前からミクマク族が住んでいた地域であるカンゾを建設した。マサチューセッツの総督であるサムエル・シュートも、アベナキ族が住んでいたケネベック川の河口あたりに複数の砦を建てた。1715年ブランズウィックのジョージ砦、1720年にトマストンのセントジョージ砦 、そして1721年にリッチモンドのリッチモンド砦が建てられた。このうちジョージ砦は、ウィリアム王戦争中に建設されたアンドロス砦の代わりとして建てられた〔''The history of the state of Maine: from its first discovery, A.D ..., Volume 2'', by William Durkee Williamson. 1832. p.88, p.97.〕。一方イエズス会は、アベナキ族の土地であるケネベック川沿いのノリッジウォック(現在のメイン州マディソン)に教会を建てること、ペノブスコット川流域での布教活動を維持すること、そして、セントジョン川流域のマリシート族の集落である、メデュクトゥクにも教会を作ることで、アベナキ族の抗議を支援した〔〔 。
この砦と教会の建設が、英仏の争いを徐々に大きくしていった。ノバスコシアではミクマク族が1720年にカンゾの砦を襲い、イエズス会の神父セバスチャン・ラル(RaleまたはRasles)がノリッジウォックに駐在している間、アベナキ族のグレイ・ロック率いる軍勢が、ニューイングランドの入植地拡大に対して襲撃を仕掛けた。1721年、アベナキ族はカスコ湾周辺の農場を焼き、家畜を殺した〔Faragher, p. 163〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラル神父戦争」の詳細全文を読む




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