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ポール・ロジャース : ミニ英和和英辞書
ポール・ロジャース[じゃー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar

ポール・ロジャース : ウィキペディア日本語版
ポール・ロジャース[じゃー]

ポール・ロジャース(Paul Rodgers、1949年12月17日 - )は、イギリス出身のロック歌手。とりわけロジャースの特徴であるリズム・アンド・ブルースに根差したソウルフルな歌唱スタイルは、後のロック・ヴォーカリストにも大きな影響を与えている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第55位。
== 経歴 ==
1949年12月17日イングランドのミドルズブラの港で7人兄弟の4番目として生まれる。ビートルズの影響を受けて様々なローカルバンドで活動を始め、1969年にはポール・コゾフ 、サイモン・カーク、アンディ・フレイザーと共にフリーを結成。フリーは当時メンバーが10代だったにも関わらず、ブルース色が濃く、シンプルなハードロックスタイルで徐々に人気を獲得していった。そして1970年にシングル「オール・ライト・ナウ」とアルバム『ファイアー・アンド・ウォーター』がヒットしてブレイクを果たすが、その後はアルバムの商業的不振やメンバー間の不仲により、初来日公演直後に解散を発表。
ロジャースは早速ピースという3ピースバンドを結成したが、ドラッグに溺れたポール・コゾフを救うために、すぐにフリーの再結成に参加する。しかしやはりメンバー間の不仲は解消されておらず、すぐにアンディ・フレイザーが脱退。コゾフもドラッグ癖が悪化してしまったため、フリーは危機に陥った。そのためキーボードにラビットことジョン・バンドリック、ベースに山内テツを加入させ、フリー名義のラストアルバム『ハートブレイカー』を発表するが、1973年に再び解散。
フリー解散後、ジェフ・ベックディープ・パープルPaul Rodgers: All Right Now - Houston Music - Rocks Off 〕、ザ・ドアーズポール・ロジャース、ドアーズ加入のチャンスを逃していた 〕からのバンド加入要請があったが、結局ロジャースは、前述のサイモン・カーク、元キング・クリムゾンボズ・バレル、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフス らと共にバッド・カンパニーを結成する。バッド・カンパニーはフリーの音楽性を継承しつつも、よりアメリカナイズされた楽曲スタイルで「キャント・ゲット・イナフ」など世界的なヒットを飛ばし、多くのアルバムがプラチナ・ディスクを記録するという成功を収める。しかしロジャースは肥大したバンド活動から落ち着くために、1982年、バッド・カンパニーを脱退。
1983年、すべての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『カット・ルース』を発表。しかし商業的には失敗に終わる。1985年にはレッド・ツェッペリンジミー・ペイジと組んでザ・ファームを結成、スーパーグループとして話題になった。しかし期待された程の成功を収めることなく、アルバム2枚を残して自然消滅。その後1991年フェイセズザ・フーのドラマーだったケニー・ジョーンズと組みザ・ロウを結成するが、これも商業的には失敗し、アルバム1枚を残して解散(実は9曲を収録したセカンドアルバムも存在しているが公式にリリースされることはなくお蔵入りとなった)。
1993年にはソロとして数々のスーパー・ギタリストと曲ごとに共演したトリビュート作品『マディ・ウォーター・ブルーズ』を発表。これが起死回生のヒット作となり、グラミー賞にもノミネートされるほどの成功を収めた。1990年代中頃にはソロで来日公演も行った。1997年には、実に14年ぶりとなるソロアルバム『ナウ』、1999年には『エレクトリック』を発表している。
同じく1999年、オリジナル・メンバーによるバッド・カンパニーの再結成に参加。新曲のレコーディングや全米ツアーを行ったが、結局後にボズ・バレルとミック・ラルフスがツアーへの不参加を表明し、ロジャースはソロ活動を再開。後の2002年、新メンバーを加えたバッド・カンパニーに再び参加し、全米ツアーを行った。
2005年から2009年にかけて、クイーンのメンバーブライアン・メイロジャー・テイラーと組んでクイーン+ポール・ロジャースの名で世界ツアーを行い、来日・全米公演も行った。2006年10月からクイーンとスタジオ入りし、2008年ニューアルバム『ザ・コスモス・ロックス』を発表。
しかし、ロジャースは「クイーン+ポール・ロジャース」としての活動に終止符を打ちバッド・カンパニーの再始動に移行した。2010年10月には、バッド・カンパニーとしては35年ぶりとなる日本公演を行った。
2014年、オーティス・レディングやアルバート・キングなど往年のソウル、ブルースの名曲を60年代に活躍した一流のバックミュージシャンによる演奏とともに収録した『ザ・ロイアル・セッションズ』を発表。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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