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ブリティッシュ・ブルドッグス : ミニ英和和英辞書
ブリティッシュ・ブルドッグス[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

ブリティッシュ・ブルドッグス : ウィキペディア日本語版
ブリティッシュ・ブルドッグス[ぶる]
ザ・ブリティッシュ・ブルドッグスThe British Bulldogs)は、プロレスにおけるタッグチームである。
イギリス出身のプロレスラーダイナマイト・キッドデイビーボーイ・スミスによって組まれた。ブリティッシュ・ブルドッグスのチーム名は彼らが1985年WWF入りした際に付けられた〔このチーム名は、WWF入りにあたり彼らと初めての会合を持ったビンス・マクマホンが、2人の肉体と風貌を見て「君たちはブルドッグみたいだな」と言ったことに起因する(『ピュア・ダイナマイト-ダイナマイト・キッド自伝』P128 / 2001年:エンターブレイン ISBN 4-7577-0639-1)。また、ブルドッグはイングランド原産で、英国を象徴するものでもある。〕。
1990年に一旦解散し、ダイナマイト・キッドはジョニー・スミスと新生ブリティッシュ・ブルドッグスを結成、1993年まで活動した。
== 来歴 ==
1980年代前半、カナダカルガリースタンピード・レスリングを主戦場としていたダイナマイト・キッドは、日本では新日本プロレスジュニアヘビー級戦線で藤波辰巳や初代タイガーマスク(佐山聡)らと激闘を繰り広げ、スターとして活躍していた。キッドの従兄弟であるデイビーボーイ・スミス1983年11月より新日本マットに参戦、ジュニアヘビー級では突出したパワーファイターとして人気レスラーの仲間入りを果たした。
1984年11月、全日本プロレスへ揃って電撃移籍し、本格的にタッグチームを結成して世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディミラクルパワーコンビをはじめ、ヘビー級のレスラーがメインの全日本マットでもスピーディーなコンビネーションで活躍、肉体的にもビルドアップし、両者ともヘビー級に転向した。当時の全日本マットでは、カルガリー出身のカナディアン・ルイス(ベン・バサラブ)を加えたトリオでも活動している。
1985年、スタンピード・レスリングを買収したWWFと契約し、ブリティッシュ・ブルドッグスのチーム名で売り出される。マスコット犬の雌ブルドッグ "マティルダ" を帯同し、キャプテン・ルー・アルバーノマネージャーに迎え、ベビーフェイスのタッグチームとしてWWFの全米サーキットに参加。超大型コンビのビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディ、反米タッグのアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフ、ベテランのザ・ファンクスなど、様々なチームを相手に好勝負を展開する。特に、カルガリー時代の盟友でもあるハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)は彼らの最大のライバル・チームであり、全米各地で熾烈な抗争を繰り広げた。
同じ英国人のオジー・オズボーンセコンド役を務めた1986年4月7日のレッスルマニア2では、ドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)を破りWWF世界タッグ王座を獲得。翌1987年1月26日にハート・ファウンデーションに敗れるまで、長期間に渡って王座を保持した。
その後もドン・ムラコ&カウボーイ・ボブ・オートンデモリッションアックス&スマッシュ)、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)らと激闘を展開。モントリオール出身のフランス系カナダ人チーム、ファビュラス・ルージョー・ブラザーズ(レイモンド・ルージョー&ジャック・ルージョー)とはリング内外で抗争劇を演じた。
アメリカマットで大きな実績を築いた後、1988年末にWWFを離脱。その後はスタンピード・レスリングや全日本プロレスに復帰し、スタンピード・レスリングでは1988年12月7日、キューバン・アサシン&ジェリー・モローのキューバン・コマンドスを破ってインターナショナル・タッグ王座を獲得。翌1989年2月12日には、カンザスシティWWAが全日本プロレスと合同で開催したイベント "International Bash" において、ロックンロール・エクスプレスリッキー・モートン&ロバート・ギブソン)とのドリーム・タッグマッチが行われた。
1989年は全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にも5年ぶりに出場したが、1990年にチームを解散。デイビーボーイ・スミスはシングルプレイヤーとなり、その際WWFでは「ブリティッシュ・ブルドッグ」のリングネームを名乗った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブリティッシュ・ブルドッグス」の詳細全文を読む




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