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ヒ68船団 : ミニ英和和英辞書
ヒ68船団[ひ68せんだん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 
船団 : [せんだん]
 (n) (naval) fleet
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

ヒ68船団 : ウィキペディア日本語版
ヒ68船団[ひ68せんだん]

ヒ68船団(ヒ68せんだん)とは、太平洋戦争後期の1944年7月に、シンガポールから門司へ石油輸送のため出航した日本の護送船団である。経由地のマニラを出たところでアメリカ海軍潜水艦の攻撃を受けて輸送船4隻を失い、高雄港で低速船を分離する再編成を経て目的地へ到着した。
なお、以下の本文中の日時は、特記無き限り日本側時間による。沈没地点も日本側記録に拠っている。
== 背景 ==

太平洋戦争時の日本にとって、戦争序盤の南方作戦で占領した東南アジアから石油を本国に輸送することは、戦争継続上において極めて重要であった。そこで1943年(昭和18年)以降、日本は、シンガポールと門司を結ぶ高速のヒ船団と、ボルネオ島ミリと門司をマニラ経由で結ぶ低速のミ船団の2種類の石油タンカー船団を設定し、石油シーレーンの防衛強化を進めた。バシー海峡周辺などに展開したアメリカ潜水艦の激しい攻撃に対抗するため、1944年(昭和19年)4月頃からは特に船団の集約・大規模化をして、被発見率の低下と護衛戦力の集中を図っていた〔岩重(2011年)、82頁。〕。
本来は石油輸送用のヒ船団であったが、1944年7月にサイパンの戦いが日本軍の敗北に終わって以後、予測されるフィリピンの戦いに向けたフィリピンへの増援部隊輸送にも関わるようになっていた。往路にはマニラ行きの軍隊輸送船が加入し、復路でも揚陸を終えた船が途中加入する例が見られた〔岩重(2011年)、88頁。〕。
一方、アメリカ海軍は、開戦と同時に無制限潜水艦作戦で日本商船を攻撃していたが、サイパン島の占領後、日本の南方資源航路に対する通商破壊を一層強化していた。サイパン島に潜水母艦ホーランド」(en)を進出させて潜水艦の活動拠点とし、3隻程度のウルフパックを組んだ潜水艦隊により日本船団を待ち伏せしていた〔モリソン(2003年)、385頁。〕。特に多数の日本船団が通行するバシー海峡周辺は「コンボイ大学」()とあだ名され、船団攻撃の重要海域と目されていた〔モリソン(2003年)、384頁。〕。
ヒ68船団は、こうした時期のヒ船団の一つとして運航された船団である。船団名は、通算68番目・日本へ帰る復路34番目のヒ船団を意味する。7月9日にシンガポールへ着いたヒ67船団(輸送船12隻・護衛艦9隻)の復路便にあたり、タンカー2隻と敷設艦「白鷹」・海防艦3隻が折り返し加入している。別の船団で到着していた「東亜丸」(飯野海運:10023総トン)ほかタンカー2隻・その他輸送船2隻と海防艦2隻も参加、ヒ67船団から引き続き第8護衛船団司令部(司令官:佐藤勉少将日本郵船(1971年)、750頁。〕)が指揮を執り、第16運航指揮班(指揮官:細谷資彦大佐『第一海上護衛隊戦時日誌』、画像21枚目。〕)が輸送船を統括した〔『第一海上護衛隊戦時日誌』、画像28枚目。〕。ヒ船団は大型タンカーによる高速船団の建前であったが、タンカーの不足から中型タンカーであるTM型逓信省標準船・TM型戦時標準船計3隻が含まれており、大型タンカーの高速性能が発揮できない編制であった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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