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ヒ86船団 : ミニ英和和英辞書
ヒ86船団[ひ86せんだん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 
船団 : [せんだん]
 (n) (naval) fleet
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

ヒ86船団 : ウィキペディア日本語版
ヒ86船団[ひ86せんだん]

ヒ86船団(ヒ86せんだん)は、太平洋戦争後期の1945年1月に運航された日本の護送船団の一つである。連合国軍のフィリピン反攻で南方航路が閉塞に向かうなか、有力な護衛の下に日本本土への石油輸送を試みたが、アメリカ海軍機動部隊による空襲と遭遇し、護衛艦の一部を残して全滅した。日本の護送船団で最悪の被害を出した事例の一つに数えられ、日本が大規模船団方式の護衛戦術を放棄する転換点となった。
== 背景 ==

=== 大船団主義とミ船団廃止 ===

太平洋戦争後半の日本は、占領下にあるオランダ領東インド油田から重要資源である石油を本土に運ぶため、シンガポール門司の間でヒ船団と称する大型高速タンカー主体の専用護送船団を運航していた。ヒ船団は、シンガポールへの往路には奇数、門司へ帰る復路には偶数の船団番号が付されており、ヒ86船団は通算86番目(復路43番目)のヒ船団を意味する〔ヒ20船団など欠航となった便があるため、実際の運航順は通算86番目や復路43番目ではない。〕。また、ヒ船団と並ぶ石油輸送船団として、ボルネオ島ミリ航路に低速の中小タンカー主体のミ船団を就航させていた。
日本海軍海上護衛総司令部は、アメリカ潜水艦による通商破壊に対抗するため、1944年(昭和19年)4月頃から護送船団の大規模化を図っていた。船団を集約化することで、護衛艦の集中などを図るねらいがあった。特に重要船団であるヒ船団やミ船団は、護衛艦を含めると15隻から30隻以上の大型船団が多く運航された。この大船団主義は、潜水艦対策として一定の成果を上げた〔大井(2001)、224-225頁。〕。ただし、空襲に対する防御力は限定的であった。
1944年10月にレイテ島にアメリカ軍が上陸し、フィリピン戦が始まると、南方占領地と日本本土を結ぶシーレーンはいっそう大きな脅威にさらされるようになった。レイテ沖海戦連合艦隊主力が壊滅し、制海権制空権は日本の手から急速に失われた。ミ船団は、航路をフィリピン寄りからインドシナ半島寄りに変更するなどして継続を図ったが、積出港のミリがモロタイ島から飛来する爆撃機の空襲で危険となり、同年11月までで廃止となった。それでも、日本海軍は、ヒ船団だけは維持しようと努力し、タンカーの不足を補うべくミ船団用だった低性能タンカーもヒ船団に振り向けることにしていた〔岩重(2011)、94-95頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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