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ヒ87船団 : ミニ英和和英辞書
ヒ87船団[ひ87せんだん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 
船団 : [せんだん]
 (n) (naval) fleet
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

ヒ87船団 : ウィキペディア日本語版
ヒ87船団[ひ87せんだん]

ヒ87船団(ヒ87せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年12月-1945年1月に門司からシンガポールへ航海した日本の護送船団である。貴重な大型タンカーを中心に編成され、石油の積み取りを任務とした。フィリピン反攻作戦のため行動中のアメリカ海軍機動部隊により空襲され、壊滅的損害を被った。
== 背景 ==

太平洋戦争後半の日本は、占領下にあるオランダ領東インドから石油を日本本土に運ぶため、シンガポール(当時の日本側呼称は昭南)と門司の間で、ヒ船団と称する高速タンカー船団を運航していた。ヒ87船団もそのひとつで、船団名は通算87番目(往路44番目)のヒ船団を意味する〔ヒ船団は、シンガポールへの往路には奇数、門司へ帰る復路には偶数の船団番号が付されていた。ただし、ヒ20船団など欠航となった便があるため、実際の運航順は通算87番目や往路44番目ではない。〕。
日本海軍は、1944年(昭和19年)4月頃から潜水艦対策のため護送船団を大規模化する大船団主義を採用していた。ヒ87船団も大船団主義に基づいた編制で、貴重な1万トン級大型タンカー6隻を主体に編成され、給油艦神威と中型タンカー・貨物船各1隻も加入した。護衛部隊は、第7護衛船団司令部(司令官:駒沢克己少将)の指揮する第一護衛艦隊所属の海防艦4隻を主力とした。また、台湾特攻兵器桜花を輸送する連合艦隊所属の軽空母龍鳳と護衛の駆逐艦3隻も同行することになり、異例の強力な布陣となった。龍鳳は輸送物資の桜花58機を搭載していたが〔防衛庁防衛研修所戦史室 『大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1976年、96-97頁。〕、それ以外に護衛作戦用の航空機を搭載していたかは不明である〔岩重(2011年)、95頁。〕。なお、龍鳳の目的地は当初はルソン島を計画していたが、同様のルソン島への輸送任務に就いた空母雲龍が潜水艦に撃沈されてしまったことから、ルソン島行きは断念された〔。
一方で、アメリカ軍は、1945年(昭和20年)1月9日のルソン島への上陸作戦に向けて事前攻撃を本格化させていた。高速空母機動部隊である第38任務部隊(司令官:ジョン・S・マケイン・シニア中将〔)は、1944年12月末にウルシー泊地を出撃し、台湾周辺の日本側反撃戦力の破壊を狙っていた。このときの第38任務部隊は正規空母8隻と軽空母3隻を主力とし、搭載航空機800機以上の圧倒的な戦力を有していた。そのほか、東シナ海から南シナ海まで、多数のアメリカ潜水艦が作戦行動中であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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