翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェストゥリ
・ ジェスパー・ジェイダー
・ ジェスフィールド76号
・ ジェスロ・サムナー
・ ジェスロ・タル
・ ジェスロ・タルの作品
・ ジェスロ・ティール
・ ジェス・B・オルデンドルフ
・ ジェス・ウィラード
・ ジェス・ウォルター
ジェス・オルテガ
・ ジェス・ダグラス
・ ジェス・トーマス
・ ジェス・ハーネル
・ ジェス・バンディーノ
・ ジェス・フランコ
・ ジェス・マーカ
・ ジェス・リアウディン
・ ジェス・リブル
・ ジェズアウド・フェレイラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェス・オルテガ : ウィキペディア日本語版
ジェス・オルテガ

ジェス・オルテガJesse Ortega、本名:Jesus Melendez Ortega1922年〔 - 1977年7月28日)は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州出身。出自はメキシコ系移民とされるが、プエルトリコ系という説もある〔『THE WRESTLER BEST 1000』P280(1996年、日本スポーツ出版社)〕。
== 来歴 ==
1940年に18歳で海軍に入り、ガダルカナル戦線に従軍〔。除隊後の1945年にプロレス入りし、地元のNWAカリフォルニア地区で活動〔。
中南米移民の多いカリフォルニア地区ではベビーフェイスとして活躍し、1954年10月6日にエンリケ・トーレスと組んでシャープ兄弟からNWA太平洋岸タッグ王座を奪取。同年11月9日にはサンフランシスコにてルー・テーズNWA世界ヘビー級王者に挑戦した。
日本には1955年7月、日本プロレスに初来日。バッド・カーティスとの「中南米タッグ王者チーム」として参戦し、力道山&東富士の保持していたハワイ・タッグ王座とのダブルタイトル戦を2度行い、いずれも引き分けている〔。以降も度々来日し、1959年5月にはワールド大リーグ戦の第1回大会に出場。力道山と決勝を争うも敗退、準優勝となった。1963年の来日時には、2月9日に東京都体育館で力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦している〔。
1966年にはブル・オルテガBull Ortega)のリングネームでWWWFに進出。11月9日にボルチモア、12月1日にワシントンDC〔、翌1967年1月30日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、ブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。WWWFではヒールとしてビル・ミラーゴリラ・モンスーンともタッグを組んでいる。
1968年4月には日本プロレスへの5回目の来日を果たし、キラー・コワルスキーフレッド・ブラッシーターザン・タイラーらと共に第10回ワールドリーグ戦に出場。外国人陣営ではコワルスキーに次ぐ2位の戦績を残し、当時ジャイアント馬場が保持していたインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦〔。パット・パターソンをパートナーに吉村道明&大木金太郎アジアタッグ王座にも挑んだが、いずれも戴冠には至らなかった〔。これが最後の来日となったが、馬場とは1972年2月19日、アメリカのミシガン州デトロイトで再び対戦している〔
1970年代マイティ・ウルススMighty Ursus)のリングネームでカナダを主戦場に活動。1973年4月29日にはトロントにてタイガー・ジェット・シンと対戦した〔。晩年の居住地となったカルガリースタンピード・レスリングでは、1975年7月18日にカーティス・イヤウケアの北米ヘビー級王座に挑戦している。なお、マイティ・ウルススの名義ではWWWF入りする前の1966年1月6日、オレゴン州セイラムにてスタン・スタージャックと組み、シャグ・トーマス&ベアキャット・ライトを破ってNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を獲得している。
引退後は、オルテガ・サンOrtega-San)と名乗り、日本人ギミックの初代グレート・カブキ(レイ・ウルバノ)のマネージャーを担当していたこともあった〔。
1977年7月28日、カルガリーの自宅にて心臓発作のため死去〔〔。55歳没〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェス・オルテガ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.