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オステオパシー : ミニ英和和英辞書
オステオパシー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オステオパシー : ウィキペディア日本語版
オステオパシー[ちょうおん]

オステオパシー (Osteopathy)とは1874年にアメリカミズーリ州カークスビル在住の医師アンドリュー・テイラー・スティル (Andrew Taylor Still)によって創始された。日本には、大正期にはカイロプラクティック(脊椎指圧療法)、スポンディロセラピー(脊椎反射療法)〔脊椎の棘突起やその両側の皮膚 ・筋肉に叩打、押圧、振動法、温熱 ・冷却などの刺激をおこない脊髄反射中枢に刺激を与え治癒をうながす療法。現在では衰退しているが、指圧整体、身体均整法の源流のひとつといわれる。“あんま・マッサージ・指圧師” の国家資格を取得するための教科書にも、指圧に影響を与えたものとしてオステオパシー、カイロプラクティックと共に名前を挙げられている。(指田太志)〕と同様にアメリカから導入され、指圧整体など日本の手技療法に大きな影響を与え、共に「療術」と呼ばれていた。(このうちスポンディロセラピーは現在では衰退している。)
オステオパシーはギリシア語のOsteon()とPathos(病理治療)の2つを語源とし、日本では整骨療法と呼ばれていたこともあるが(大正期には「整体術」「整体」とも訳されたようである〔)、骨のみを調整する手技とは異なり、骨格などの運動器系動脈静脈リンパなどの循環器系脳脊髄液の循環を含む脳神経系など、解剖学的あるいは生理学的な広範囲の医学知識の元に、手を使って治療を加える。現在ではオステオパシーとそのままで呼ぶ。しかし、単なる療法ではなく、オステオパシーとは、そのままでひとつの哲学であり、1. 身体全体をひとつのユニットとして考える、2. 身体の機能と構造は一体のものであると考える、3. 自然治癒力を鼓舞することを主眼とするなど、独特の医学体系を持つ。
オステオパシーとは、療法を指す用語ではない。たとえば、東洋医学の中に鍼療法があるように、オステオパシー医学という医療哲学のひとつの体系のことである。従って、その意味では、オステオパシー「療法」というのは正しくない。
アメリカの旧・国立補完代替医療センター(現・国立補完統合衛生センター)による補完・代替医療の分類の一つ「手技療法と身体技法」(Manipulative and Body-Based Practices)には、脊椎の徒手整復術(マニピュレーション)、マッサージ療法などがあるが、これらはカイロプラクティックやオステオパシーの概念が背景にある〔がんの補完代替医療 ガイドブック 第3版 〕。日本を含め現代の手技療法への影響は大きい。
== 歴史 ==
スティルは南北戦争の従軍医師であったが、二人の息子と養子を次々と髄膜炎によって亡くし、自分の無力さに嘆き、それから研究を重ね10年後の1874年にオステオパシーを創始した。
元々、スティルは人体の自然治癒力を阻害している原因は骨にあるとしていたが、後に筋肉やリンパ、内臓、神経、血管等の異常を治せば自然治癒力が高まると提唱した。
当初は西洋医学からは受け入れられなかったが、多くの人に支持され、1892年にアメリカン・スクール・オブ・オステオパシー(現在のA. T. Still University)がミズーリ州に設立され、1910年に医学認可を受ける。
日本にオステオパシーが入ってきた時期は特定できないが、明治から大正の1910年ごろに伝わったとされており、オステオパシーの名称を本格的に紹介したのは山田信一〔オステオパシーのパイオニアであり、のちに整体に大きな影響を与えた整体操法委員会に(委員長・野口晴哉)参加している。〕で、1920年(大正9年)19月20日に発行した『山田式整體術講習録』(山田式整体術講習録)に具体的な内容が見られる〔 日本オステオパシー医学会]〕。この本は3巻からなり、第1巻はプラナ療法(プラーナ療法)、第2巻はオステオパシーの原理、第3巻は当時霊術の一つであった精神療法が紹介されている。、しかし「整体」という言葉自体、オステオパシーやカイロプラクティックの訳語として大正期に使われるようになった用語であるといわれ、これ以前に日本で整体と呼ばれる手技療法はなかったと考えられている〔津田昌樹 「整体」、今西二郎 編『医療従事者のための補完・代替医療』 金芳堂、2009年、改訂2版〕。日本では、オステオパシーそのものの形ではなく、種々あって一つの理論がないといえる整体の一分野に形を変えて行われてきたが、戦後オステオパシー医が来日するようになり、オステオパシーが独自の手技療法として広まるようになった。本格的なセミナーはイギリスのアラン・スタッダードやカリフォルニアとオステオパシー総本家の]大学のテニング学長以下2人の教授が来日してからである。
現在、カークスビル・オステオパシー医科大卒の森田博也D.O.がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オステオパシー」の詳細全文を読む




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