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アルフレッド・ノーベル : ミニ英和和英辞書
アルフレッド・ノーベル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルフレッド・ノーベル : ウィキペディア日本語版
アルフレッド・ノーベル[ちょうおん]

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベルAlfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイト発明で知られるスウェーデン化学者発明家実業家ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使った。自然界には存在しない元素ノーベリウムはノーベルの名をとって名付けられた。Dynamit Nobelアクゾノーベルのように現代の企業名にも名を残している(どちらもノーベルが創業した会社の後継)。
名前の発音は、スウェーデン語では 「アルフレド・バーナド(バーンハド)・ノベル」(太字はアクセント)となり、第二音節アクセントがある〔実際の発音はこちらの音声ファイル と Alfred Nobel - Forvo.com を参照。〕。また、英語発音も(アルフレド・バーンハード・ノウベル)のように、第二音節にアクセントがある。ただし、ノーベル賞 ''the Nobel Prize'' は(ノウベル・プライズ)のように第一音節にアクセントがあるので注意が必要。
== 生涯 ==
スウェーデンストックホルムにて、建築家で発明家の (1801–1872) とカロリナ・アンドリエッテ・ノーベル (1805–1889) の4男として生まれた。両親は1827年に結婚し、8人の子をもうけた。一家は貧しく、8人の子のうち成人したのはアルフレッドを含む4人の男子だけだった〔''Encyclopedia of Modern Europe: Europe 1789-1914: Encyclopedia of the Age of Industry and Empire'', "Alfred Nobel", 2006 Thomson Gale.〕。父方の先祖にスウェーデンの科学者オラウス・ルドベック (1630–1702) がいる〔Schück, Henrik, Ragnar Sohlman, Anders Österling, Carl Gustaf Bernhard, the Nobel Foundation, and Wilhelm Odelberg, eds. Nobel: The Man and His Prizes. 1950. 3rd ed. Coordinating Ed., Wilhelm Odelberg. New York: American Elsevier Publishing Company, Inc., 1972, p. 14. ISBN 0-444-00117-4 (10). ISBN 978-0-444-00117-7 (13). (Originally published in Swedish as Nobelprisen 50 år: forskare, diktare, fredskämpar.)〕。幼少期から工学、特に爆発物に興味を持ち、父からその基本原理を学んでいた。
事業に失敗した父は1837年、単身サンクトペテルブルクに赴き、機械や爆発物の製造で成功。合板を発明し、機雷製造を始めた。1842年、父は妻子をサンクトペテルブルクに呼び寄せた。裕福になったため、アルフレッドには複数の家庭教師がつけられ、特に化学と語学を学んだ。そのため英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語で流暢に会話できるようになった。学校に通っていたのはストックホルムでの1841年から1842年にかけての18カ月間だけだった〔。
化学の家庭教師として雇われたのは化学者である。その後化学をさらに学ぶため、1850年にパリに行き、テオフィル=ジュール・ペルーズの科学講座を受講している(アスカニオ・ソブレロは彼の生徒の一人)。翌年にはアメリカに渡って4年間化学を学んだ。そこで短期間だが発明家ジョン・エリクソンに師事している。その後、父の事業を手伝う。最初の特許を出願したのは1857年のことで、ガスメーターについての特許だった〔〔Carlisle, Rodney (2004). ''Scientific American Inventions and Discoveries'' , p. 256. John Wiley & Songs, Inc., New Jersey. ISBN 0-471-24410-4.〕。
クリミア戦争 (1853–1856) では兵器生産で大儲けをするが、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し、父は1859年に再び破産する。父は工場を次男の (1831–1888) に任せ、ノーベルと両親はスウェーデンに帰国した。なお、リュドビックは受け継いだ工場を再開して事業を発展させた。ノーベルは爆発物の研究に没頭し、特にニトログリセリンの安全な製造方法と使用方法を研究した。ノーベル本人がニトログリセリンのことを知ったのは1855年のことである(テオフィル=ジュール・ペルーズの下で共に学んだが発見)。この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発実験に成功。1863年にはスウェーデンで特許を得た。1865年には雷管を設計した。ストックホルムの鉄道工事で使用を認められるが、軍には危険すぎるという理由で採用を拒まれる。
1864年9月3日、爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡〔。ノーベル本人も怪我を負う。この事故に関してはノーベル本人は一切語っていないが、父イマニュエルによればニトログリセリン製造ではなくグリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止されたためハンブルクに工場を建設。ニトログリセリンの安定性を高める研究に集中した〔。また合成者のアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero) に対し充分な対価を支払った。1866年、不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴し、1867年アメリカとイギリスでダイナマイトに関する特許を取得する。しかしシャフナーによる執拗な追求はその後も続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案まで用意されたため、軍事における使用権をシャフナーに譲渡。
1871年珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイトと名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、一躍世界の富豪の仲間入りをする。1875年、ダイナマイトより安全で強力なゼリグナイトを発明。1887年にはコルダイトの元になったの特許を取得している。
1878年、兄とと共に現在のアゼルバイジャンバクーでを設立。この会社は1920年ボリシェヴィキのバクー制圧に伴い国有化されるまで存続した。
1884年、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれた。また同年、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。さらに1893年にはウプサラ大学から名誉学位を授与された。
1890年、知人がノーベルの特許にほんのわずか変更を加えただけの特許をイギリスで取得。ノーベルは話し合いでの解決を希望したが、会社や弁護士の強い意向で裁判を起こす。しかし1895年最終的な敗訴が確定する。
1891年、兄リュドビックと母の死をきっかけとして、長年居住していたパリからイタリアのサンレーモに移住。
1895年、持病の心臓病が悪化しノーベル賞設立に関する記述のある有名な遺言状を書く。病気治療に医師はニトロを勧めたが、彼はそれを拒んだ。1896年12月7日、サンレーモにて脳溢血で倒れる。倒れる1時間前までは普通に生活し、知人に手紙を書いていた。倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたという。これが最後の言葉となった。急ぎ親類が呼び寄せられるが、3日後に死亡した。死の床にも召使がいただけで、駆けつけた親類は間に合わなかった。現在、ノーベルはストックホルムのNorra begravningsplatsen(北の墓地)に埋葬されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフレッド・ノーベル」の詳細全文を読む




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