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アルフレッド・ド・ヴィニー : ミニ英和和英辞書
アルフレッド・ド・ヴィニー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルフレッド・ド・ヴィニー : ウィキペディア日本語版
アルフレッド・ド・ヴィニー[ちょうおん]

アルフレッド・ド・ヴィニーAlfred Victor, comte de Vigny1797年3月27日 - 1863年9月17日)はフランス作家劇作家詩人貴族(伯爵)。フランス・ロマン主義の一員として知られる。
== 生涯 ==
フランスのトゥーレーヌ地方(フランス中部、現在のアンドル=エ=ロワール県にほぼ相当する旧州名)の都市ロッシュに生まれる。地方貴族の末裔だったが、革命の余波を受け零落。ナポレオン帝政に期待をかけ、軍人としての成功を夢みるが、1814年に近衛騎兵に少尉として入隊した時にはすでに復古王政が始まっていた。1815年、近衛騎兵隊の解散に伴い近衛歩兵隊に移り、1823年大尉に昇進、スペイン戦争に際し前線に派遣される。1828年に除隊。私生活ではその2年前にリディア・バンブリーというイギリス人の女性と結婚している。
パリに赴き、ロマン主義者たちのサロン(いわゆるセナークル)の常連になる。1815年から詩を書き始める。1822年、最初の詩集を刊行。1826年、「モーセ」、「洪水」、「角笛」などいくつかの詩篇を増補した新版を『古今詩集』の題で刊行。1837年にはさらに「雪」、「スービーズ夫人」、「フリガート鑑」、「パリ」、「モンモランシーの恋人たち」を増補した。
ヴィニーの散文作品には以下のものがある。歴史小説『サン=マール』(1826年)では、独自の理想主義的な視点から歴史的出来事に「改良」を加え、一貫した物語を紡ぎ出した。小説に『ステロ』(1832年)と『軍隊の服従と偉大』(1835年)の2作品、戯曲にシェークスピアオセロー』の翻案『ヴェニスのムーア人』(1829年)、ルイ13世時代の事件を題材にした史劇『アンクル元帥夫人』(1831年)がある。最後に『チャタートン』(1835年)は、自殺したイギリス18世紀の青年詩人トーマス・チャタートンを題材にしたもので、大成功を博した。この劇でキティ・ベル役を演じたコメディ・フランセーズの女優マリー・ドルヴァルにヴィニーは魅了された。1845年アカデミー・フランセーズに選出された。ただしヴィニーの選出についてルイ=マティウ・モレからは猛烈な反対を受けている。晩年は孤独であった。のため1年あまり病床に伏せっていたが、1863年9月17日、パリで死去。モンマルトル墓地に葬られた。詩集の第2巻である『運命』(主に『両世界評論』に掲載された作品からなる)は死後、1864年になってから刊行された。 死後出版の作品としては他に『詩人の日記』がある。これは伝記的文章や内省、草案などからなり、ルイ・ラティスボヌによって1867年に出版された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフレッド・ド・ヴィニー」の詳細全文を読む




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