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アルトゥール・ルービンシュタイン : ミニ英和和英辞書
アルトゥール・ルービンシュタイン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルトゥール・ルービンシュタイン : ウィキペディア日本語版
アルトゥール・ルービンシュタイン[ちょうおん]

アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 - 1982年12月20日)は、ポーランド出身のピアニスト。様々な作曲家の作品の演奏で国際的な名声を博し、特にショパンの演奏では同時代の最も優れたピアニストであるとみなされている.〔〔''The great pianists'', Harold C. Schonberg, Simon & Schuster, 1987〕。また、20世紀の代表的なピアニストの1人である 。ルービンシュタインの演奏家としてのキャリアは80年にも及んだ〔Teachout, Terry. "Whatever Happened to Arthur Rubinstein." Commentary 101, no. 2 (1996): 48-51. Index to Jewish Periodicals, EBSCOhost (accessed October 10, 2012).〕。
前半生はヨーロッパで、後半生はアメリカ合衆国で活躍した。ショパン以外では、ブラームススペインのピアノ音楽も得意とした。
== 経歴 ==

出生名Artur Rubinstein(Arthurではない)としてウッチユダヤ人の家庭に生まれる。8人きょうだいの末子で、父は富裕な工場主であった〔"Intoxicated with Romance." Time 101, no. 23 (June 4, 1973): 73. Academic Search Premier, EBSCOhost (accessed October 9, 2012).〕。2歳の時、姉のピアノのレッスンを聴いて、即座にその演奏を魅惑的に再現してみせ、絶対音感とともにピアニストとしても並ならぬ才能の持ち主であることを証明した。ルービンシュタインも4歳の頃までには、自ら神童であると自覚していた。ハンガリーの著名なヴァイオリニストであったヨーゼフ・ヨアヒムは、4歳のルービンシュタインの演奏を聴いて強い印象を受け、家族に次のように話したという。「この少年はとても偉大な音楽家になるかも知れない ― 確かに彼には才能がある・・・本格的に勉強する年齢になったら私の所に連れて来なさい。私は彼の音楽教育を監督することに喜びを感じることになるだろう」。1894年12月14日、7歳のルービンシュタインは、モーツァルトシューベルトメンデルスゾーンの作品でデビューを飾る〔Rubinstein, Artur. 1973. My young years Arthur Rubinstein. n.p.: New York, Knopf; by Random House 1973., 1973. Ignacio: USF Libraries Catalog, EBSCOhost (accessed October 9, 2012).〕。
10歳の時、ベルリンに移って音楽の勉強を続け、1900年、13歳の時に、初めてベルリン交響楽団と共演を果たす〔。ヨアヒムはルービンシュタインのピアノの師として、カール・ハインリヒ・バルトを推薦した。
1904年パリに行き、フランス作曲家サン=サーンスポール・デュカスラヴェルらや、ヴァイオリニストのジャック・ティボーと面会する。ルービンシュタインはサン=サーンスの前で、《ピアノ協奏曲第2番》を演奏した。さらにユリウシュ・ヴェルトハイメル一家を通して、ヴァイオリニストのパウル・コハンスキ、作曲家のカロル・シマノフスキと親交を結んだ〔Sachs 1997〕。
1906年ニューヨークカーネギー・ホールで行なったリサイタルは聴衆に支持されたようだが、評論家から批判が相次いだため4年間、演奏活動を中止して自らの技巧・表現に磨きをかけた。その後、アメリカ合衆国やオーストリアイタリアロシアで演奏旅行を行なった。1908年、困窮と絶望と借金取りの厳しい取立てに加え、ベルリンのホテルの部屋の立退きも迫られたルービンシュタインは、首吊り自殺を図るが失敗する。だがその直後、自らが生まれ変わり、人生の無限の愛が授けられたように感じた、とルービンシュタインは後に語っている。1910年、第5回アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝するが、ユダヤ人だったために審査員や聴衆から人種差別を受けたという〔。1912年にはロンドンデビューを果たし、その後同市南西部のチェルシーに定住する。同地のドレイパー兄弟のサロンで、コハンスキ、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ジャック・ティボー、パブロ・カザルスピエール・モントゥー、などと親しく交わった〔Sachs 1997〕。
第一次世界大戦中は主にロンドンに暮らし、ウジェーヌ・イザイの伴奏者を務めた。1916年から1917年まで、スペインや南米を旅行し、同地で熱烈な歓迎を受ける。また、ルービンシュタインも同時代のスペインや南米の作曲家に熱狂して多くの新作を初演する。1932年にしばらく演奏生活から隠退して、数年のあいだ演奏技巧やレパートリーの改善に取り組んだ。この年に指揮者エミル・ムイナルスキの娘アニエラと結婚し、4人の子供をもうけた。娘エヴァは神学者・聖職者・反戦運動家のウィリアム・スローン・コフィン師と結婚し、息子ジョンは俳優となった。第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に暮らし、1946年に米国籍を取得〔。
ルービンシュタインはそのレパートリーの中で、とりわけロマン派の作品を数多く録音した。ルービンシュタインが死んだときのニューヨーク・タイムズの記事には、「ショパンは彼にとって特別の存在だった。多くの人々によって、彼が比類の無い存在として考えられているのは、ショパン弾きとしてのそれである」とまで書かれた〔。ルービンシュタインはエチュードの一部の作品を除く、ショパンの全作品を録音している。また、ルービンシュタインは、スペインや南米の作曲家、さらにラヴェルやドビュッシーといった、20世紀初頭のフランスの作曲家の最も早い紹介者の一人であった。さらにルービンシュタインの同胞である、シマノフスキの最初の擁護者でもあった。ルービンシュタインは、スクリャービンとの対話の中で、最も好きな作曲家としてブラームスの名前を挙げ、スクリャービンを激怒させたことがある〔Artur Rubinstein, ''My Young Years'', quoted in Norman Lebrecht, ''The Book of Musical Anecdotes''〕。
1960年ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務めた。このときの優勝者がマウリツィオ・ポリーニであり、ルービンシュタインのコメント「我々の誰よりも上手い」により大変有名となった。1976年飛蚊症」が原因による視力喪失により引退。ルービンシュタインの最後のコンサートは、ロンドンのウィグモア・ホールで開かれた。
ルービンシュタインは8ヶ国語を流暢に話した。また、彼は恐るべき記憶力の持ち主で、ピアノ曲だけではなく、膨大な数のレパートリーを持っていた〔 。自伝によると、ルービンシュタインはフランクの《交響的変奏曲》を、コンサートへ向かう列車の中で、ピアノ無しで暗譜した。また、ルービンシュタインは自らの思い出を、まるで写真のように、例えば楽譜について語る時は、本題とは関係のない譜面に付いたコーヒーのしみについてまで克明に記述した。
ルービンシュタインは聴覚も非常に発達しており、心の中で全ての交響曲を演奏することが可能だった。ルービンシュタインは自伝の中で、「朝食の時、私は頭の中でブラームスの交響曲を演奏していた。その時電話が鳴ったので、受話器を取った。30分後、私は電話で話している間も演奏が続いており、今は第3楽章が演奏されていることに気づいた」と述べている。ルービンシュタインの友人達はよく、オペラや交響曲の楽譜から適当なものを抜き出し、ルービンシュタインの記憶力によって演奏させようとした〔。
1973年、自伝「華麗なる旋律」を執筆。1982年、ジュネーヴで就寝中に死去した〔 。遺体は火葬され、その遺灰はルービンシュタインの遺志により、1年後にエルサレムに埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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