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PCCカー : ミニ英和和英辞書
PCCカー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

PCCカー : ウィキペディア日本語版
PCCカー[ちょうおん]

PCCカーとは、アメリカ合衆国の「Electric Railway Presidents’ Conference Committee(ERPCC:電気鉄道社長会議委員会)」によって開発された路面電車車両、またそれに準じた構造を持つ路面電車車両である。最初のPCCカーは1930年代に開発され、第二次世界大戦に世界の多くの路線に導入された。
== 概要 ==

PCCカーはアメリカ合衆国にあった「The Electric Railway Presidents' Conference Committee(ERPCC)」によって開発された。この委員会は、各地の路面電車運営会社が集まって1929年に結成され、当時台頭してきつつあったバス自家用車に対抗できる新しいタイプの路面電車を開発することが使命だった。PCCの名前もこの委員会にちなむ。
PCCカーは、独特な流線型の車体とスムーズな加速性能を持ち、各地の鉄道会社に採用された。これらのPCCカーはそれぞれの会社の事情に合わせてアレンジが行われたが、多くの車両はそれでも、いかにもPCCカーらしい形を保っていた。
PCCカーは1936年に最初の100両が作られた。その後も北アメリカでは、1950年代の初期まで製造が続けられた。北アメリカでは4978両が作られ、ヨーロッパでもオランダベルギー等にほぼ純正のPCCカーが存在した他、旧西ドイツのデュワグカーやチェコ製の旧東欧共産圏標準形タトラカーなど、PCCカーをたたき台にした高性能車は本国北アメリカをも凌ぐ量産がなされた〔「PCC: The Car That Fought Back」〕。これらはいずれの事業体でも引退期にあり、多くは超低床LRV等に置き換えられているが、なおも多数が欧州各地で使用されている。
PCCカーは丈夫で長持ちしたが、現在では大部分の車両が廃車となり、一部は各地の博物館保存鉄道で保存されている。わずかな両数ではあるが、現在でも走っているものがある。代表的なものとして、サンフランシスコの中心街・マーケットストリートから港湾地区を通り、観光フィッシャーマンズワーフまで走る「F-Line」がある。もともとこの区間を走る路面電車が存在し、一旦地下に全面移転になったものの線路や架線(トロリーバスを運行しているために継続利用されていた)が残されていた。これを利用したフェスティバル等での特別運行が時折実施されていたが、フィラデルフィア市SEPTA(セプタ)から中古PCCカーを大量に導入し(その後ニュージャージー・トランジットからも追加導入している)、アメリカ各地の廃止になった路面電車のカラーリングに装って、通常運行が復活した〔「鉄道ピクトリアル No.688」pp.65-66〕。同様にイタリアミラノ市電の中古車も導入され、共に主力車として使用されている。このほか、ウィスコンシン州ケノーシャでも旧トロント市電のPCCカーを使った路線運行がなされている。
第二次世界大戦前に作られた初期バージョンのPCCカーは、ドアの開閉やブレーキに使われる圧縮空気を作るための電動空気圧縮機を持っていた。これに対し、1945年以降に製造された後期バージョンの車両はすべてが電動化されていたのが特徴である。これは騒音が大きい空気圧縮機とエアブレーキをなくすためで、エアブレーキは、モーターに取り付けられた電気駆動方式のドラムブレーキに変更されていた。また初期バージョン、後期バージョンとも、停車するときには主として発電ブレーキを用い、エアブレーキまたは電気駆動ブレーキは、車体が完全に停止する直前まで〔松田(1954)によれば、東京都電5501の場合約3km/h。〕使われなかった。運転方式は加減速共に自動車同様の足踏みペダル式で、手は運転台コンソールにあるつかみ棒を握っているだけである〔「新路面電車読本」pp. 137 - 153〕。
PCCカーのシステムは、路面電車のみならず都市高速電車に応用された例もある。シカゴ“L”の試作連接車である5000系(→51系:1947年製)、大量増備された量産ボギー車の6000系(1950 - 1959年製)、そして単行運転可能で併用軌道区間での運用も行われた両運転台車の1系(1959・1960年製)がそれである。内側台枠方式で小直径の弾性車輪を使用する台車直角カルダンによる駆動系、超多段制御の主制御器等、路面電車用PCCカーのシステムをそのまま応用している。もっとも、これらの運転台はPCCカーの開発にも参加したウェスティングハウス・エレクトリック社およびウェスティングハウス・エア・ブレーキ社が開発したシネストン・コントローラと呼ばれるブレーキ弁と主幹制御器を同軸化したワンハンドルマスコンを使用しており(このためブレーキは電空同期を前提とするSMEE電磁直通ブレーキが採用されている)、その点では足踏みペダルによる操作を基本としたPCCカーとは異なっていた〔「PCC: The Car That Fought Back」Chapter 6 PCC RIDES THE RAPID pp. 163 - 170〕。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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