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1992年のスポーツカー世界選手権 : ミニ英和和英辞書
1992年のスポーツカー世界選手権[1992ねんのすぽーつかーせかいせんしゅけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
スポーツカー : [すぽーつかー]
 【名詞】 1. sports car 2. (n) sports car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界選手権 : [せかいせんしゅけん]
 (n) world (an international) championship (title)
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
選手権 : [せんしゅけん]
 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion 
: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 

1992年のスポーツカー世界選手権 : ウィキペディア日本語版
1992年のスポーツカー世界選手権[1992ねんのすぽーつかーせかいせんしゅけん]

1992年のスポーツカー世界選手権は、FIAスポーツカー世界選手権40年目、そして最後のシーズン。グループC車両がC1とFIAカップの2クラスでタイトルを争う。1992年4月26日イタリアモンツァで開幕し、10月18日フランスマニクールで閉幕するまで、全6戦で争われた。ル・マン24時間鈴鹿1000km以外全て500kmレースで開催された。このシーズンをもって40年の歴史を持つスポーツカーの世界選手権は一旦終了することとなった。再開されるのはこの20年後、世界耐久選手権として2012年からである。
==シーズン前==

1992年シーズンの開催は当初から疑問符が付いていた。FIAはエントラントの減少から選手権の中止を計画していたが、多額の費用をつぎ込み、それを1年限りのシーズンで無駄にすることを望まなかったプジョーはFIAに対して圧力をかけ、選手権を開催するに値するエントリーが十分あると納得させた。これによってFIAは1992年シーズンの開催に舵を取った。
FIAはスポーツカー世界選手権において前年度に3500cc自然吸気エンジンを導入したが、これはF1のものと等しく、最終的には統一した唯一の規定による運営を考えていた。エンジン均等化の規定はシリーズにおいて引き継がれ、それまでに使用されていた3.5リッターエンジンに収まらない形式のエンジンを排除することとなった。従って、ほとんどの車が同様のエンジンを搭載するようになり、新たなサブカテゴリーが生まれることとなった。C1クラスは10もしくは12気筒エンジンを搭載し、大半のチームがファクトリーサポートを受けた。FIAカップは主にプライベイターチームが参加し、多くがフォードコスワース・DFR V8を搭載した。
C2クラスが排除されたことで、マツダポルシェは完全に新しいエンジンを組み立てることが必要となった。エンジン寸法は大きく変化し、また新型シャシーの開発も必要になった。ポルシェはフットワークに供給した3512エンジンを既に保有していたが、エンジン設計には大きく欠けるものがあることが判明した。ポルシェは当時予算面で苦しみ、3512の改良だけで無く962シャシーの置き換えももはや価値が無いと決定し、シリーズには戻らないこととした。
マツダは1991年にロータリーエンジンでル・マン24時間レースを制覇するという目標を達成したが、1992年シーズンはロータリーエンジンの使用が規定総合的で禁止されることとなった。マツダはスポーツカーレースにロータリーエンジンの開発を目的として参戦していたが、以後はなブランドイメージ向上のために参加し、それほど意欲的では無いプログラムとなった。マツダスピードはカスタマーバージョンのジャガー・XJR-14を購入、僅かな改良を施しマツダ・MX-R01とした。エンジンはジャッド・GV10を改良したマツダ・MV10が搭載された。この努力でマツダはスポーツカーレースに干与する間、多額の費用を節約するのに貢献した。
1991年シーズンで既に3.5リッターエンジン搭載車を投入したチームは、1992年シーズンへの参戦体勢はそれぞれ異なった。
メルセデス・ベンツはパートナーのザウバーと共に1992年シーズンのための車両開発プログラムを推し進めた。C292の開発は、新たな水平対向12気筒エンジンと共に進行中であった。しかしながら、1991年のエンジンには様々な構造的欠点があり、計画の推進は多額の費用の浪費に繋がり、1992年シーズンからの撤退を余儀なくされた。
ジャガーは1984年からXJRプログラムを推進し、1991年シーズンはXJR-14の性能に満足しているわけでは無かったが、既にシリーズからの撤退を発表していた。カスタマー仕様のXJR-14は1992年シーズン、新規参入するRMRとジー・ピー・カーズに供給させることが約束されていた。
より小さなプライベイターチームでは、ブルン・モータースポーツの手による開発不足のブルン・C91を選択するか、ポルシェ・962を選択するしか無く、彼らのほとんどもシリーズ参戦をあきらめざるを得なかった。962を使用し、参戦をあきらめたチームの中にはクレマー・レーシングやチーム・サラミン・プリマガスも含まれた。クラージュ・コンペティションは自社製シャシーの開発費が不足し、ル・マン24時間レースのみへの参戦を決定した。コンラート・モータースポーツコンラート・KM-011も1991年は不調であったが、1992年はランボルギーニの支援を受けて開発を進める予定であった。ユーロレーシングは古くなったスパイス製シャシーを新たなローラ・T92/10と、ジャッド製エンジンに取り替えるための資金を確保し、1992年シーズンへの参戦をすぐさま確約した。チェンバレン・エンジニアリングもスパイスのファクトリーサポートを受けての参戦を計画していた。
プジョー905トヨタTS010は、基本的なシャシーとエンジンは変わらなかったが、1992年に備えて進歩的改良が行われた。
また、BRMの名が、自社製シャシーのP351およびV型12気筒エンジンと共に1992年シーズンに復活すると発表された。しかしBRMの参戦があっても、1991年シーズンに比べると1992年シーズンのグリッドは、多くのプライベイターおよび2大マニファクチャラーの撤退によりエントラント数不足なのは明らかであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1992年のスポーツカー世界選手権」の詳細全文を読む




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