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スポーツカー世界選手権 : ミニ英和和英辞書
スポーツカー世界選手権[すぽーつかーせかいせんしゅけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

スポーツカー : [すぽーつかー]
 【名詞】 1. sports car 2. (n) sports car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界選手権 : [せかいせんしゅけん]
 (n) world (an international) championship (title)
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
選手権 : [せんしゅけん]
 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion 
: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 

スポーツカー世界選手権 : ウィキペディア日本語版
スポーツカー世界選手権[すぽーつかーせかいせんしゅけん]
スポーツカー世界選手権(スポーツカーせかいせんしゅけん、、通称:SWC)は、かつて国際自動車連盟 (FIA) が主催し世界各国を転戦して行われた2座席スポーツカーによる耐久レース世界選手権である。
1953年、世界スポーツカー選手権としてスタートし、その後幾度か名称・レギュレーションを変更した後、1992年に40年の歴史に幕を閉じた。2012年からFIA 世界耐久選手権として、新たに開催されることとなった。
== 歴史 ==
1953年、「世界スポーツカー選手権(World Sportscar Championship)」としてスタートした。1950年開幕のF1世界選手権が単座フォーミュラカーによる短距離レースで、ドライバー主体の競技だったのに対し、世界スポーツカー選手権は2座席スポーツカーの長距離レースで、車両製造者(メーカーもしくはマニュファクチャラー)を主体として構成された。以降、1962年より「国際マニュファクチャラーズ選手権」(1966年から国際スポーツカー選手権併催)、1968年より「国際メーカー選手権」、1972年より「世界メーカー選手権」(1976・1977年は世界スポーツカー選手権併催)、1981年より「世界耐久選手権(通称:WEC)」、1986年より「世界スポーツプロトタイプカー選手権(通称:WSPC)」、1991年より「スポーツカー世界選手権(通称:SWC)」と名称を変え歴史を刻んできたが、1992年限りで廃止された。
シリーズの中では伝統の耐久レース「ル・マン24時間レース」がとくに有名だが、運営方法やレギュレーションの問題で、レースを主催しているフランス西部自動車クラブ(ACO)とFIAが対立し、シリーズから外れることもしばしばあった。
1950年代は純レーシングカーに近いスポーツプロトタイプカーを中心に開催されていたが、安全性の見地から、1962年より量産GTカーの選手権とされた。しかし、プロトタイプの人気を反映して、スポーツカー(GTカー)とプロトタイプの選手権2本立てとなり、1968年には両者の性能を調節して再び1本化された。1960年代にはアメリカのフォード(およびシェルビー)が大々的に参戦し、ヨーロッパの覇権を握るフェラーリに挑戦した〔両社の間には、フォードがフェラーリの買収に失敗したという因縁があった。〕。さらに、中排気量クラスの雄であるポルシェが総合優勝を目指すようになり、3者の対決はF1を凌ぐ人気を得ていた。
しかし、度重なるレギュレーション変更と1970年代前半のオイルショックの影響により、有力ワークスの撤退が相次いだ。ポルシェを軸に、マトラルノー(参戦登録名はアルピーヌ)、ミラージュなどのメーカーが参戦するも、シリーズは低迷期を迎えた。1976年には市販車を大改造したシルエットフォーミュラ規定が導入されるが、ポルシェの一人勝ち状態となりシリーズの活性化には繋がらなかった〔2座席オープントッププロトタイプの選手権は、世界スポーツカー選手権として併催されたが、1978年に欧州選手権に格下げされた。〕。
1982年、プロトタイプに排気量無制限ながら使用燃料総量の規制を加えたグループC規定を採用したことで、メーカーの参戦意欲を刺激し、シリーズは再び隆盛を迎える。ポルシェに加えてランチアメルセデスジャガーアストンマーティンといった古豪が復活し、トヨタ日産マツダといった日本のメーカーもル・マン制覇を目指して参戦を開始した。1989年の全戦参加義務付けで、シリーズには7つものメーカーが参戦し、好況も手伝ってエントリーも常時30台を超えた。1991年にはマツダが日本車として初めてル・マンを制した。
しかし、1991年よりFIAがF1と同じエンジン規定(3.5L自然吸気エンジン、燃料使用料規制撤廃)を導入すると、新規定のエンジン開発が間に合わなかったトヨタ・日産や、重量ハンディを負った旧規定のポルシェを使うプライベートチームが参加を回避した。そのため、プジョーの新規参入にも関わらず、シリーズエントリーは激減し、開幕戦の出走台数は前年の34台から15台へと大きく減少した。参加したメーカーもFIAの運営に不満を抱き、メルセデス・ジャガーは1991年シーズン終了後シリーズ撤退を表明し、選手権は事実上空中分解した。翌1992年はプジョー・トヨタ・マツダの3メーカーが参戦したものの、プライベートチームの参戦はほとんどなく、エントリーはル・マン(この年は過去最低の28台)を除き常時10台前後しか集まらない状態に陥った。この年限りで40年もの歴史を持つスポーツカー耐久レースの世界選手権は終焉を迎えることとなった。
その後 世界選手権は行われていなかったが、ACO主催で欧州中心に行われる ル・マン・シリーズ(通称:LMS)、北米中心に行われるアメリカン・ル・マン・シリーズ(通称:ALMS)が開催され続けた。2010年より、LMSとALMSに加えインターコンチネンタル・ル・マン・カップ(通称:ILMC)が開催され世界を転戦し、これは事実上の世界選手権の復活と言えた。
そして、2011年6月の世界モータースポーツ評議会において、FIAとACOが提携し2012年からFIA 世界耐久選手権(FIA World Endurance Championship, 通称:WEC)が開催されることが決定された〔FIA Press Release World Motor Sport Council 03/06/2011 〕。20年ぶりに復活したこのスポーツカー耐久レースの世界選手権は、初年度にはル・マン24時間レースをはじめとする8つの大会が開催され、アウディがチャンピオンを獲得している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スポーツカー世界選手権」の詳細全文を読む




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