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酒瀬川武安 : ウィキペディア日本語版
酒瀬川武安[さかせがわ たけやす]
酒瀬川 武安(さかせがわ たけやす、? - 天正12年3月24日1584年5月4日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国島津氏武将通称は豊前兵衛(奉膳兵衛とも)。子は同名の豊前兵衛(不明、天正15年(1587年)に戦死)。
本藩人物誌』に、「武功抜群の人での上手なり」と記される人物で、敵の城内に忍び入り諜報活動を行う役目を担っている。また、武将としても島津義弘の供をし、永禄9年(1566年)の三ツ山城攻めなどに従軍、特に天正6年(1578年)の耳川の戦いでは、伊地知重政富山備中守と共に300余の兵で敵の通り道に伏兵し、敵の荷駄隊を襲って騎馬1人と足軽73人を討ち取り荷駄を奪う功を上げた。天正年間には、軍議に参加する人数54人のうち日向3城の一人に数えられる。
天正12年(1584年)、沖田畷の戦いに従軍した際に討ち死にした。
==参考文献==

*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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