翻訳と辞書
Words near each other
・ 藤原為世
・ 藤原為任
・ 藤原為光
・ 藤原為守
・ 藤原為家
・ 藤原為忠
・ 藤原為憲
・ 藤原為房
・ 藤原為房卿記
・ 藤原為教
藤原為時
・ 藤原為業
・ 藤原為氏
・ 藤原為盛
・ 藤原為相
・ 藤原為経
・ 藤原為親
・ 藤原為輔
・ 藤原為通
・ 藤原為隆


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

藤原為時 : ウィキペディア日本語版
藤原為時[ふじわら の ためとき]
藤原 為時(ふじわら の ためとき、天暦3年(949年)頃? - 長元2年(1029年)頃?)は平安時代中期、一条朝の貴族歌人漢詩人藤原北家良門流、中納言藤原兼輔の孫で、刑部大輔藤原雅正の三男。紫式部の父。官位正五位下左少弁
== 経歴 ==
紀伝道菅原文時に師事し文章生に挙げられる。蔵人所雑色播磨権少掾を経て、貞元2年(977年東宮・師貞親王の御読書始において副侍読を務める。永観2年(984年)師貞親王が即位(花山天皇)すると式部丞六位蔵人に任じられる。なお、紫式部の「式部」は為時の官職名に由来する。寛和2年(986年)花山天皇の退位に伴い官職を辞任する。
一条朝に入ると約10年に亘って散位の状況となるが、長徳2年(996年)に従五位下越前に叙任されて越前国へ下向する。この際に娘・紫式部も連れて行ったとされる。寛弘6年(1009年正五位下左少弁。その2年後の寛弘8年(1011年)に越後守に任じられ息子の惟規も越後国に同行したが、惟規はまもなく現地で亡くなっている。また、長和3年(1014年)6月に任期を1年残しながら越後守を辞任し帰京、一説には直前に紫式部が亡くなったからではないかと言われている。
長和4年(1015年)4月29日に三井寺にて出家寛仁2年(1018年)には摂政藤原頼通邸の屏風の料に詩を献じたが、その後の消息は不明である。
本朝麗藻(ほんちょうれいそう)』に漢詩作品13首が採録されており、大江匡衡源為憲源孝道らと並べて「凡位を越える詩人」と評した。『後拾遺和歌集』(3首)および『新古今和歌集』(1首)に和歌作品が入集している〔『勅撰作者部類』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原為時」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.