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竹中重隆 : ウィキペディア日本語版
竹中重利[たけなか しげとし]

竹中 重利(たけなか しげとし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名豊後荷揚城城主。府内藩初代藩主。は重信、重義、隆重、重隆とも。
==略歴==

永禄5年(1562年)に生まれる。『寛政重修諸家譜』では父を竹中重光竹中重元の弟)とするが、諸系図では竹中重広(与右衛門、竹中重元の子)の子として重元の孫とする〔ただし『野史』では遠江守重元の子とし、重元を重治の弟としている。〕。羽柴秀吉の参謀竹中重治の従弟か甥にあたるが、正室は重治の妹で、同時に義弟にもあたるため、しばしば弟との表記もある。
竹中重治の知行地から美濃国長松城岐阜県大垣市長松町にあった城。〕3,000石を分けて貰っていたが、天正7年(1579年)、重治が死去したので、秀吉の直臣となった。
天正18年(1590年)、森忠政の家人と美濃恵那郡土岐郡を検地した。同年の小田原征伐には馬廻組頭として参陣した。
文禄3年(1594年)、豊後国国東郡高田で1万3,000石に加増されて大名となった。文禄・慶長の役では二度とも従軍。特に慶長の役では先手衆の軍目付6人の内の1人に選ばれた。この頃、従五位下伊豆守に叙任された。
慶長3年(1598年)の秀吉の死により遺物義光の刀を受領した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、初め西軍に与して大坂久法寺町橋や近江瀬田橋を警備し、丹後田辺城攻めにも兵を派したが、後に黒田如水に誘われて東軍に転向して所領安堵された。
戦後に荷揚城(大分城)を与えられ、豊後府内2万石に加増転封される。城の大改修を行い現在の規模とし、港や城下町を整備し、現在の大分市の発展の基礎を築いた。
元和元年(1615年)10月16日、54歳で死去した。跡を長男の重義が継いだ。
茶を古田織部に学んだ弟子の一人。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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