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杉若無心[すぎわか むしん] 杉若 無心(すぎわか むしん、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将・大名。藤七。越後守。息子に杉若氏宗、娘に丹羽長秀室(藤堂高吉母)、神保相茂室、広橋総光室。豊臣秀長・秀保の重臣〔新人物往来社編『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社、1996年) ISBN 4-404-02334-0 P228より。〕。 越前国の出身で、朝倉氏の家臣だったとされる〔。天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州征伐に従い、羽柴秀長に従って湯河直春の芳養泊城(泊山城)を攻略した〔。戦後は紀伊国田辺の領主となり、泊山城に拠る〔。天正18年(1590年)に新たな居城として上野山城を築き、また城下町の整備を行った〔。文禄年間(1592年‐1595年)に家督を氏宗に譲る。秀保が死去すると、秀吉に直属して19,000石を領した〔。 文禄の役では、氏宗の舟手組頭として650の兵を率いる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで氏宗と共に西軍に属し、改易された〔。その後は京に住み、慶長7年(1602年)頃までは公家と交際していたようである〔。 ==脚注== 〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉若無心」の詳細全文を読む
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