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京極孫童子丸[きょうごく まごどうじまる] 京極 孫童子丸(きょうごく まごどうじまる、文正元年(1466年) - 文明3年(1471年))は、室町時代後期の守護大名。出雲・隠岐・飛騨・近江守護、京極氏当主。京極勝秀の子、京極持清の孫。高清の弟。 応仁の乱の最中の応仁2年(1468年)に父が亡くなり、祖父も2年後の文明2年(1470年)に死去したため家督と守護職を継承した。補佐役は叔父政経と守護代多賀高忠が受け持った。しかし、もう1人の叔父政光と多賀清直がこれに反発、孫童子丸の庶兄・乙童子丸(高清)を擁立して六角高頼と組んで西軍へ寝返った(京極騒乱)。政経・多賀高忠は六角政堯と共に東軍へ留まったが、文明3年(1471年)に孫童子丸は夭折した。 家督は政経が継ぐが、乙童子丸派との抗争は応仁の乱終結後も継続し、京極氏の弱体化を招いた。 == 参考史料 ==
*小和田哲男編『戦国大名閨閥事典 第二巻』新人物往来社、1996年。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京極孫童子丸」の詳細全文を読む
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