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中江直澄[なかえ なおずみ] 中江 直澄(なかえ なおずみ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将、大名。式部少輔。 豊臣秀吉に馬廻として仕える。天正18年(1590年)、小田原征伐の際は石田三成を総大将とした忍城の攻めに参加。文禄2年(1592年)文禄・慶長の役では朝鮮へ渡航せずに肥前国名護屋城に在陣し、東二の丸御後備衆、本丸裏表御門番衆に連名。文禄4年、伏見城普請に参加。知行地は、不明だが伊勢であったともいわれる。石高は1万石。醍醐の花見の警護にも名を見ることができる。 関ヶ原の戦いに際しては、川口宗勝と大坂城におり東軍に味方するつもりで出立したが、増田長盛・長束正家に留められたため心ならずもでは西軍に属した。安濃津城攻めなどに参加するが西軍が敗れると、所領を没収され宗勝とともに伊達政宗に預けられるが、慶長8年(1603年)に許された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中江直澄」の詳細全文を読む
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