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コガネタイフウは日本の競走馬。1989年阪神3歳ステークス優勝馬。中央競馬の平地GI優勝馬でありながら障害競走への転向と地方競馬への移籍を両方とも経験しためずらしい経歴を持つ馬である。 馬齢は旧表記にて統一する。 == 戦績 == 6月と遅生まれではあったがデビューは比較的早く、1989年9月の新馬戦で4着だった。3戦目で初勝利を挙げると、その後関東へ遠征し3戦1勝という成績を残し、GI阪神3歳ステークスへと出走した。12頭立ての7番人気と評価は低かったが、後にGIマイルチャンピオンシップを2勝するダイタクヘリオスをゴール前で差し切り優勝した。 1990年はきさらぎ賞から始動したが、GI優勝馬にもかかわらず重賞初挑戦のハクタイセイに1番人気を奪われる2番人気、結果も2着だった。続くペガサスステークスでは1番人気だったものの、ニホンピロエイブル(7位入線後に失格)の斜行に遭い落馬競走中止、騎乗していた田原成貴も第2・3腰椎および骨盤骨折の重傷を負い、乗り替わりを余儀なくされた。次走皐月賞では12番人気の4着と健闘するが、その後の成績は芳しいものではなかった。東京優駿(日本ダービー)10着、中日スポーツ賞4歳ステークス5着、休養を挟んで臨んだ10月のカシオペアステークスでは再び鞍上に田原成貴を迎えるも再度落馬により競走中止、鳴尾記念で6着に敗れた後故障が判明し、翌1991年を棒に振っている。 1992年に復帰するものの振るわず、1993年4月の大阪城ステークスで8着に敗れたのを最後に障害競走へと転向する。転向初戦の未勝利戦こそ大差勝ちするものの、続く2戦は1番人気を裏切る惨敗を喫し、障害でも活路を見出すことはできなかった。結局これが最後の中央競馬でのレースとなり、地方競馬へと転厩した。地方競馬に送られた理由は不明であるがここでもまったく勝てず、北関東から高知へと移ったが1勝も出来ずに終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コガネタイフウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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