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1950年の政治では、1950年(昭和25年)の政治分野に関する出来事について記述する。 == できごと == === 1月 === * 1月1日 - ダグラス・マッカーサー元帥、年頭の書簡で「自衛権」を強調。 * 1月6日 * コミンフォルムが「日本の情勢について」を発表、日本共産党を批判。これをきっかけに日本共産党中央委員会内に分裂がおきる(五〇年問題)。 * イギリスが中華人民共和国を承認する。このため台湾の国民党政府は、イギリスと断交する。 * 1月11日 - 日本共産党政治局会議。徳田球一書記長、野坂参三、伊藤律ら主流派はコミンフォルムの野坂論文批判に反対。志賀義雄、宮本顕治ら反主流派はコミンフォルムに賛成。政治局会議は主流派が勝利。 * 1月12日 - 共産党機関紙「アカハタ」に徳田書記長の「所感」掲載。 * 1月15日 - 志賀義雄、党にソ連、コミンフォルムを中心とする各国共産党の国際的連携を主張する意見書を提出。 * 1月16日 * インドで憲法が施行される(インドの共和国記念日)。 * 日本社会党第5回党大会(於東京家政学院)開催。 * 1月17日 - 社会党大会2日目。鈴木茂三郎書記長の演説をめぐり党内左右両派の代議員が大乱闘。 * 1月18日 * 日本共産党拡大中央委員会総会召集。徳田書記長、志賀意見書を批判。 * 中華人民共和国がベトナム民主共和国を承認する。 * (夜)片山哲元首相、党大会の続行不可の声明発表。 * 1月19日 * 片山元首相、党大会の席上で委員長候補の辞退を声明。右派は大妻講堂で、左派は家政学院で別個に党大会を開催。 * 共産党拡大中央委に中国共産党が人民日報で所感を批判する論説が伝わる。徳田書記長は書簡を撤回。志賀も意見書を撤回。 * 1月20日 - 保守合同に反対の木村小左衛門地方自治庁長官(国務相)が吉田首相に会見を拒否される。 * 1月24日 - 木村小左衛門地方自治庁長官辞任。後に数人と民主党野党派に復帰。 * 1月26日 * 民主党野党派、議員総会。 * 共産党人事異動で宮本顕治が九州地方委員会議長に左遷。 * 1月31日 - ソ連がベトナム民主共和国を承認する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1950年の政治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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