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西園寺実俊 : ミニ英和和英辞書
西園寺実俊[さいおんじ さねとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

西園寺実俊 : ウィキペディア日本語版
西園寺実俊[さいおんじ さねとし]
西園寺 実俊(さいおんじ さねとし、建武2年(1335年) - 元中6年/康応元年7月6日1389年7月28日))は、南北朝時代公卿西園寺公宗の長男、母は典侍日野名子日野資名の娘、『竹向きが記』の作者)。初名は実名(さねかた)。従一位右大臣
西園寺公宗建武2年(1335年)、北条氏と謀った後醍醐天皇の暗殺計画に失敗して同年8月2日に処刑されており、実俊はその後に生まれ、探索の眼を逃れて養育された。このとき、西園寺家の家督は暗殺計画を密告した叔父公重に渡っている。実俊は北朝のもとで建武4年(1337年従五位下となり、暦応3年(1340年)、母名子とともに西園寺家北山第に入った。康永3年(1344年)に従三位貞和5年(1349年正三位権中納言となる。叔父公重が文和2年(1353年南朝に仕えたため、実俊が家督を相続し、同年権大納言となった。貞治3年(1364年内大臣貞治5年(1366年右大臣永和元年(1375年従一位康応元年(1389年)6月8日出家、同年7月6日に55歳で薨去した。
==系譜==

*父:西園寺公宗
*母:日野名子 - 日野資名
*妻:四条隆資
 *男子:西園寺公永(1353-1390)
*生母不明
 *二男:西園寺公兼(?-1417)
 *男子:道紹

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西園寺実俊」の詳細全文を読む




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