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黒岩重吾 : ミニ英和和英辞書
黒岩重吾[くろいわ じゅうご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [われ]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego

黒岩重吾 : ウィキペディア日本語版
黒岩重吾[くろいわ じゅうご]

黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2003年3月7日)は日本小説家。 
== 来歴・人物 ==
大阪市生まれ。父方の祖先は和歌山県新宮市廻船問屋〔『私の父、私の母PartⅡ』中央公論社、1996年、69頁〕。旧制宇陀中学(現・奈良県立大宇陀高等学校)、同志社大学法学部卒。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。
敗戦による逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。この時の体験が創作の原点になる。復学後に闇ブローカー業を行い、卒業後は日本勧業証券(現みずほ証券)に入社。
1949年に「北満病棟記」を書き、『週刊朝日』の記録文学コンクールに入選、同人誌「文学者」のグループに参加した。ドッジ政策により株相場で大失敗し、家財を売り払って株の情報屋となり、次いで「証券新報」設立に参加する。
1953年、悪食を試み、腐った肉を食べたことで小児麻痺を発病し、以後3年間入院生活を送る。
退院後は、入院中に株が暴落し、帰るべきところがなくなったために、釜ヶ崎あいりん地区)のドヤ街に移り住み、トランプ占い、キャバレーの呼び込み、「水道産業新聞」編集長などさまざまな職業を経験する。
1958年に「ネオンと三角帽子」がサンデー毎日に入選、発表。
1959年源氏鶏太の紹介で司馬遼太郎と知り合い「近代説話」の同人となり、1960年に「青い花火」が「週刊朝日」「宝石」共催の懸賞に佳作入選。同年、書き下ろしで『休日の断崖』を刊行し、直木賞候補となる。
翌年に釜ヶ崎を舞台にした『背徳のメス』で直木賞を受賞している。
以後、「西成モノ」を主に、金銭欲・権力欲に捕らわれた人間の内面を巧みに抉った社会派推理・風俗小説作家として活躍した。
1963年、日本推理作家協会関西支部長に就任。『裸の背徳者』や、戦災孤児をテーマにした全5部の大作『さらば星座』などの作品がある。直木賞選考委員、奈良文学賞選考委員を務めた。
弟子に難波利三がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒岩重吾」の詳細全文を読む




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