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黄郛 : ミニ英和和英辞書
黄郛[こう ふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. yellow 

黄郛 : ウィキペディア日本語版
黄郛[こう ふ]

黄 郛(こう ふ)は清末民初の政治家。北京政府国民政府の要人。多くの重要な対日交渉に参与した。旧名は紹麟膺白。原籍は浙江省嘉興府嘉興県
== 事績 ==

=== 革命派としての活動 ===

1904年光緒30年)、浙江武備学堂に入学した。まもなく清朝の官費により日本に留学し、東京振武学校に入学している。1905年(光緒31年)、中国同盟会に加入している。また、1907年(光緒33年)に、蒋介石張群と振武学校で知り合った。1908年(光緒34年)、陸軍測量局地形科で学ぶ。1910年宣統2年)、帰国した。
1911年(宣統3年)10月、武昌起義が勃発すると、黄郛は上海へ赴き、陳其美を補佐して革命派の蜂起に参加した。11月、陳が滬軍都督となると、黄郛が参謀長兼滬軍第2師師長に就任した。なお、蒋介石もこの時に帰国し、滬軍第2師第5団団長に就任している。陳、黄、蒋は意気投合し、「盟兄弟」の契りを結んだとされる。
1912年民国元年)1月、南京臨時政府において、黄郛は孫文から兵站総監の兼任を命じられた。袁世凱が臨時大総統となると、黄郛は江蘇都督府参謀長に転任した。1913年(民国2年)、二次革命(第二革命)において、革命派に属して袁軍と戦った。しかし、革命派は敗北し、黄は日本を経由してアメリカに亡命した。民国5年(1916年)、帰国して浙江省で護国戦争第三革命)に参戦した。護国軍勝利後は天津に遷り、しばらくは著作活動に励んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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