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鹿子木員信 : ミニ英和和英辞書
鹿子木員信[かのこぎ かずのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [いん]
  1. (n,n-suf) member 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

鹿子木員信 : ウィキペディア日本語版
鹿子木員信[かのこぎ かずのぶ]
鹿子木 員信(かのこぎ かずのぶ、1884年明治17年)11月3日 - 1949年昭和24年)12月23日)は、日本哲学者海軍軍人。最終階級は海軍機関中尉大日本言論報国会の事務局長として国粋主義思想運動をリードし、戦後はA級戦犯容疑者として逮捕された。妻は教育者である鹿子木コルネリア、息子にベルリンオリンピックに出場したバスケットボール選手、鹿子木健日子がいる。「プラトン哲学の研究」で文学博士(東京帝大)〔『学位大系博士録』発展社出版部(昭和15、16年版)〕。
== 経歴 ==
熊本藩士族の家系として東京府に生まれる。旧制東京府立第一中学校から海軍予備校を経て、1904年海軍機関学校を卒業し、「八雲」乗組みとして日本海海戦を戦った〔有終会編『懐旧録』〕。海軍機関中尉で病を得て予備役を経て退役。敵兵を救助したことで上官の叱責を受けたことも海軍を退いた理由の一つである〔『日本軍事史閑話』163-165頁〕。
その後は哲学を専攻し、1906年(明治39年)9月 京都帝国大学文科大学哲学科選科入学にしたが、この時代に近衛文麿を知り関係を深める。また慶應義塾大学教授を経て、1907年よりアメリカドイツに留学。1926年九州帝国大学教授・同法文学部長、1927年にはベルリン大学客員教授となる。戦争中は徳富蘇峰が会長を勤める大日本言論報国会の専務理事、事務局長を務め〔林茂 『日本の歴史25 太平洋戦争』 中公文庫新版 ISBN 978-4122047426、353p〕、国粋主義思想を広めた。徳富蘆花の短編「梅一輪」(『みみずのたはこと』所収)に海軍士官葛城勝郎として登場する。
1945年11月、A級戦犯容疑者として逮捕され巣鴨プリズンに収容される。のち公職追放指定を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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