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鳩の湖 : ミニ英和和英辞書
鳩の湖[はと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はと]
 【名詞】 1. pigeon 2. dove 
: [みずうみ]
 【名詞】 1. lake 

鳩の湖 ( リダイレクト:鳰の湖真二 ) : ウィキペディア日本語版
鳰の湖真二[におのうみ しんじ]

鳰の湖 真二(におのうみ しんじ、1986年12月16日 - )は、滋賀県大津市出身で山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は田中 真二(たなか しんじ)。身長174cm、体重147kg。最高位は西前頭16枚目(2012年1月場所)。血液型A型。
== 来歴 ==
幼少期より柔道を始めて、大津市立皇子山中学校在学時には柔道部の主将を務め、個人戦では全国大会ベスト16の実績を持つ実力選手だった。北京五輪100kg級金メダリスト・石井慧とも対戦経験がある(対戦成績は鳰の湖の2分け1敗)。中学では生徒会長も務めていた。
中学1年の時に両親が離婚し、それ以降中卒まで女手一つで育てられる〔病乗り越え十両昇進 大津出身・鳰の湖 つなごう医療 中日メディカルサイト 2010年12月2日〕。同じく中学1年の時に北の湖部屋の大阪場所宿舎で食事をしたことをきっかけに、「親孝行するなら相撲」と決意し「1人で育ててくれたお母さんにお金持ちになってもらいたい」という動機と共に〔、中学卒業後に当時の北の湖部屋へ入門した。東京の柔道名門校・国士舘高校の推薦を拒否しての入門であった〔豊ノ島に続け!新十両に1メートル74鳰の湖 - スポーツニッポン、2010年12月2日付け配信〕。北の湖だけにとどまらず地元の接骨医も角界入りに誘ったとされており、入門前から才能は広く評価されていた〔『相撲』2012年3月号71頁〕。
2002年3月場所に初土俵を踏む。新弟子時代は身長171cm・体重109kgで、第二新弟子検査を受けての入門であった〔現在の身長は174cmで、新弟子検査の基準を満たしている。〕。同期には稀勢の里や同部屋の北磻磨らがいる。「鳰の湖」という四股名琵琶湖の古称に由来して付けられたもので、「鳰の湖」とは「水鳥が集まる湖」という意味を持つ。「鳰」は、故郷・滋賀の県鳥カイツブリのことである。「にほの海やかすみて暮るる春の日にわたるも遠し瀬田の長橋」という、新古今和歌集に収められた藤原為家の和歌にも登場する由緒ある言葉でもあるが、入門当初は字が似ている「」と間違えられて「はとのうみ」と読まれることもあったという。母は鳰の湖の精進を支えるために研究やトレーニング指導も買って出て、関取昇進をアシストしていた〔
それから約4年間ほどは主に三段目に在位していたが、2006年4月に風邪の症状を訴えて、病院で検査したところ小脳炎にかかっていることが判明し〔雑誌・「相撲」(ベースボールマガジン社)、2006年6月号より〕、即刻緊急入院した。異変を自覚した鳰の湖は入門後初めて母親に助けを求めたといい、母が駆けつけた時は、うわ言を言ったり、真っすぐ歩けない状態であった〔。脳の中に細菌が入った状態で、当初の病状は重篤で数日間にわたって完全に意識が戻らない状態であった〔小脳炎乗り越えた鳰の湖「上目指す」 - 日刊スポーツ、2010年12月2日付け紙面〕。担当医師からは約50%の確率で下半身不随になると言われたという。食事もまともに取ることができず、点滴流動食で栄養を補給し、約1ヶ月間の入院生活はほぼ寝たきりの状態で約20kgほど体重が落ちたものの、同年5月場所後半に退院し、翌7月場所で復帰を果たした。
2007年3月場所に幕下に昇進すると、以後は幕下中位に定着するようになった。東幕下16枚目に上がった2010年7月場所で5勝2敗と勝ち越し、自己最高位となる西幕下6枚目の位置で迎えた翌9月場所でも4勝3敗と勝ち越し、続く11月場所でも西幕下4枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌2011年1月場所において新十両へ昇進した。第二新弟子検査を経ての関取は、豊ノ島磋牙司益荒海に続いて4人目のこととなった。その1月場所では5勝10敗と大きく負け越し、大相撲八百長問題による同年3月場所の中止を挟んで、同年5月技量審査場所において幕下へ陥落した。
東幕下4枚目に番付を下げて迎えた2011年5月技量審査場所では3勝4敗と負け越したものの、大相撲八百長問題により多数の引退力士が出た影響で、翌7月場所では負け越しながら東幕下筆頭へと番付が上がった。その7月場所では5勝2敗と勝ち越し、翌9月場所において十両へ復帰した。再十両となった9月場所は9勝6敗と勝ち越し、続く11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを決め、翌2012年1月場所に新入幕を果たした。滋賀県出身者の新入幕は1993年3月場所の蒼樹山以来18年10ヶ月ぶりであった。その1月場所では5勝10敗と大敗して、翌3月場所では十両へ陥落した。同年5月場所前の左肩亜脱臼の影響もあって〔『相撲』2012年5月号58頁〕以後1年余り十両に停滞した状態で過ごすが、2013年5月場所序盤で左膝を痛めたが何とか勝ち越すも2013年7月場所前の稽古で悪化したため1勝14敗の大敗を喫して翌9月場所には東幕下2枚目まで番付を落とし、関取の地位を手放した。9月場所は関取復帰を懸ける場所だか、3勝4敗と負け越し、復帰を果たせなかった。続く11月場所も調子が上がらず2勝5敗と負け越した。2014年7月場所も勝ち越せず7連続負け越しとなり、これにより2007年1月場所以来となる三段目への陥落を余儀なくされた。同年11月場所は復調し、6勝1敗の好成績を残して1年半ぶりの勝ち越しを手にした。
2015年11月場所13日目の取組終了後に師匠の北の湖敏満が急逝し、千秋楽となる11月22日に遺体が福岡から帰京。前日に七番相撲を取り終え帰京していた鳰の湖が、北の湖夫人の小畑とみ子のコメントをマスコミの前で代読した〔北の湖さん遺志…妻とみ子さん表出ず代読「誇りに」 日刊スポーツ 2015年11月22日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鳰の湖真二」の詳細全文を読む




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