翻訳と辞書
Words near each other
・ 馬防柵
・ 馬陵の戦い
・ 馬陸
・ 馬陸駅
・ 馬隆
・ 馬雨男
・ 馬雲
・ 馬雲リョク
・ 馬雲緑
・ 馬霊
馬霊詧
・ 馬面
・ 馬面電車
・ 馬革
・ 馬鞍山
・ 馬鞍山市
・ 馬鞍山線
・ 馬鞍山鋼鉄
・ 馬鞍山駅
・ 馬韓


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

馬霊詧 : ミニ英和和英辞書
馬霊詧[ば れい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [れい]
 【名詞】 1. soul 2. spirit 3. departed soul 4. ghost 

馬霊詧 ( リダイレクト:夫蒙霊サツ ) : ウィキペディア日本語版
夫蒙霊サツ[ふもうれいさつ]

夫蒙 霊詧(ふもう れいさつ、? - 756年)は、中国・唐代玄宗期の軍人。チベット系西羌出身。馬霊詧と記載されることもある。
吐蕃突厥との戦争において功績をあげ、河西節度使に任じられた。高仙芝を任用したが、高仙芝が手柄を都に直接に報告したために、高仙芝が任用され、河西節度使を解任された。
== 経歴 ==
開元27年(739年)、疏勒(カシュガル)鎮守使であった。西突厥の内紛の際に、北庭都護の蓋嘉運の命により、拔汗那(フェルガナ)王とともに、怛邏斯(タラス)城を攻撃し、黒姓可汗・爾微を捕らえて交河公主を奪取した。また、数万人を捕らえ、拔汗那王に与えている。
後に、蓋嘉運に代わり、河西節度使に任じられる。この時、封常清も彼に従って赴任したと伝えられる。開元29年(741年)、唐に服していた達奚部が造反し、攻撃の詔を玄宗から下されたため、高仙芝に攻撃させ、勝利をおさめた。夫蒙霊詧は労をねぎらい、高仙芝を重用する。ために、高仙芝は四鎮都知兵馬使に昇進した。また、夫蒙霊詧が戦う度に李嗣業を伴ったと伝えられる。
天宝3載(744年)、突騎施の莫賀達干が唐に反し、可汗を名乗るが、これを討伐して斬った。天宝4載(745年)、護蜜を討伐する。この時、段秀実が従軍し功績を立てている。
小勃律国が吐蕃に降伏し、西北20余国が吐蕃に制され、唐への朝貢の使者が絶えてしまったため、夫蒙霊詧は討伐軍を送ったが、成功しなかった。
そのため、天宝6載(747年)、玄宗からの特命である勅命を受け、高仙芝に1万人を率いさせ、小勃律国を討伐させる。同年、高仙芝は小勃律国を制圧し、国王と吐蕃の公主を捕らえる。しかし、高仙芝は夫蒙霊詧に無断で、直接、都に勝利を報告してしまう。夫蒙霊詧は、河西に帰還した高仙芝を罵り「犬の腸を喰らう高麗奴め!お前を于闐使になれるように奏上したのは誰か?焉耆鎮守使になれたのは誰のおかげか?安西副都護になれたのは誰のおかげか?」と激しく詰問した。狼狽した高仙芝は「中丞〔夫蒙霊詧は、後に高仙芝の任じられた官位から、攝御史中丞の地位にあったと思われる。〕のおかげです」と回答した。すると、夫蒙霊詧は「全部、私が奏上したものだ。なぜ、私の指示を待たずに、勝利を都に奏上したのか!高麗奴の罪は斬罪に相当するが、新たに大功を立てたばかりだから、すぐに処置しようは思わないだけだ!」と述べた。しかし、高仙芝の監軍であった辺令誠が高仙芝の危機を都に奏上したため、夫蒙霊詧は解任され、高仙芝が安西節度使に任じられる。夫蒙霊詧は長安に帰還することを命じられたため、大いに後難を怖れ、高仙芝が以前と態度を変えなかったことで、まずます自分を恥じた。高仙芝を讒言していた配下の程千里らも、高仙芝によって許された。
天宝14載(755年)、安史の乱が勃発し、至徳元載(756年) に、夫蒙霊詧は安東副都護、保定軍使に就任していた。玄宗は、平盧節度副使であった呂知誨を節度使に任命したが、呂知誨は安禄山の腹心である韓朝陽の勧誘を受け、夫蒙霊詧を誘い、これを殺害してしまった。呂知誨もまた、唐王朝に与することを決した配下の劉客奴に殺害された。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「夫蒙霊サツ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.